浜っ子人生ー優曇華の花咲く時
その間、お陰様で漁業分野において「英語が使える人」と言う定評も出来上がった。漁業分野の翻訳もすっかり慣れた。
カナダに来てから通算三十七年、漁業も含めて常に日本人や日本語或いはそれを使う人々の間で、組織に帰属する人間として働いて来た。私の人生のレールが、こうした「狭間」で働くように敷かれていたのかも知れない。
人は生きて行く時に、何時も何か「拠り所」を求めるものだ。私自身、
観念的には「親方日の丸」は嫌いだが、ではと自分を素直に見て見ると、
私も矢張り「・・・・の私」と言う意識を常に持ちながら生きて来た事に気付く。
自分は組織の中の小さい歯車の一つにすぎない、組織は私の技が必要な限りは私を大切にするが、一旦不要となれば捨てる、組織と言うものが如何に非情なものかを、二度に亘る失業で味わっている筈なのに、である。それなのに、相変わらず組織に拠り所を求めていたのは、四十年近い間に培われた「自分は役立つ男であり、組織もそれに報いてくれる」
と言う勤め人の根性のせいなのかも知れない。
組織の中で生きようとすれば、如何に自己を目立たせるか、それによって他人より早く組織の梯子の上段に辿り着くかが至上の目的となる。私の場合、英語は組織の中での自己の存在意識を主張するための技(わざ)だった。もっとも、この技のお陰で訪れた土地やそこに生きている人々についても、普通の組織人が見聞するよりももっと深く幅広く学ぶ事が出来た。
得たものを自分で咀嚼し、自分の心を豊かにしようと試みては見たが、組織のベルト・コンベアに乗っている限り、こうして得たものは絶対に自分のものにはならなかった。
私を「表す」手段は私の「技」の範囲に留まるほかなかった。漁業の先細り傾向が明白になるに連れ、又年をとるに連れ、国家試験に合格した専門の通訳でも著名な翻訳家でもない私の場合には、組織に執着しようとすればする程醜態を演じる事になりかねない。
私には組織の中での仕事の先が見えて来た。組織を一概に悪と極め付けているのではない。唯組織の中にいる限り、「個」の人間性を充実させる事は不可能なのである。
私の仲間のなかにも、そろそろ定年退職をする人が増えて来た。でもよく見てみると、彼等は人生そのものから退職してしまったように見えてならない。組織から離れた彼等は抜け殻のようになっている。「・・・・の」 が消えてしまったらもう何も残らない。
彼等がそんな無気力な人生を夢見ていた筈はない。サラリーマンは
「一芸に秀でていろ」
とよく言われているが、私は本当にその通りだと思う。組織の中で過ごした幾年を返せと言う訳には行くまい。自分で定年を決めても良いではないか、私はそう思うようになった。
つまり、定年イコ―ル退職ではなく、自分らしい人生を選択し、自分が積み重ねて来たものを十分に活用し、生きる道を開拓していくと言うことである。
実は私をこのように開眼させてくれたのは私の家内だ。私達が偕老同穴を誓って以来、生真面目で、澄んだ心の持ち主である彼女が
「貴方には英語の才能があるのよ」
と常に言い続けていた。しかし私はなかなか
「うん、ある」
と答えられなかった。
一つには組織人としての自負心もあった。だが、そう応えきれない最大の理由は、私の心の奥底に根強く居座っている「英語コンプレックス」
(この事については、「架け橋の人生ー英語と生きて60年」に記載)
だった。
何年もの間、散々踏んだり蹴ったりされている内に、このコンプレックスにも大分ヒビ割れが来ていたが、
「上手だ、素晴らしい!」
と幾ら言われても、私は
「自分の英語は自転車操業の中小企業のようなものだ」
といつも思っていた。ペダルを止めたらひっくり返る、と言う心構えは変わっていなかった。
「持って生まれた才能ではない、ただ不断の努力だけしかない」
こう私は信じていた。しかし、お世辞など決して言わない家内がここまで言ってくれる。
「一体、私にとっての英語とは何だろう」
と自問してみた。組織のカラを脱ごうとしている事もあってか、自分と英語と言うものが以前よりもはっきりと見えて来た。そこを辿って行く内に、技の域を出ていないと思っていた英語が、私の中に根付いていた日本語と並んで根付き、芽を吹いていたと言う事が、段々と分ってきた。この二つの狭間から私はものを見、判断し吸収してきていたのである。
英語はもう切り離す事が出来ない、私の一部になっている。この事を家内が教えてくれたのだと言う事がはっきり分った。組織から外れる選択をし、「言葉の狭間を生きて来た知識と経験を生かそう」
これが私のこれからの生き方である。
この「狭間の芽」 にいつ花が咲くのか、私には分らないが、翻訳や書く事を通じて、私もその肥料作りの一助になろうと思っている。
これがこれからの私の在り方である。
(完)
作品名:浜っ子人生ー優曇華の花咲く時 作家名:栗田 清