浜っ子人生ームーンライトソナタ
友達の一人に数学の天才と言われた栗谷君がいたが、彼の星好きが当時の私にも影響していたのかも知れない。彼は東大卒後、東京天文台に勤めたと聞いたが、今頃どうしているのかなと、PCからながれてくるムーンライトソナタを聴きながら懐かしく思いだした。
あの頃の私は夜になると、門の横にしがみつくように置かれたゴミ箱の上に乗って、手製の望遠鏡で月や星を見る事が多かった。勿論、手製だから倍率も低く、肉眼で見るのと大差なかったのかも知れないが、それでも月や星を見ていると、何時もとは違う世界に入り込んで行けるような気持ちになれるのが好きだった。
ムーンライトソナタを始めて聴いたのが何時頃だったかには定かな記憶はない。ただ、当時それを聴くチャンスには恵まれていた。というのは、英語の永田先生が放課後、空襲で旧校舎が焼け落ち、当時横浜の金沢八景に移転していた県立1中のボロ校舎の、これも又ボロ・ピアノでべ―トーベンやショパンの曲をいつも弾いていたからだ。
先生は強度の近眼だったが、楽譜をろくに見ずに弾く先生が凄いなと思ったものである。もともと音楽好きな私は、永田先生のピアノを聴くのが大好きだった。もう一つの理由は、あの頃NHKで音楽の泉と言う番組が毎週日曜の朝にあり、堀内敬三さんと言う人がクラシックの解説をやっていた。
僕はその番組が好きで欠かさず聴いているうちに、益々クラシックに惹きつけられて行った。なけなしの財布をはたいて東京のコンサート等にも出かけたりした。生の演奏を聴けるというのは、貧乏学生の私にはこの上ない贅沢だった。
昭和32年(1957年)にカナダのバンクーバー日本領事館に赴任してからも、私のクラシック好きは変わらず、地元のバンクーバーシンフォニーの公演には、相変わらずなけなしの財布をはたいて出掛けた。
その頃の指揮者の名前は記憶にないが、クラシック・マニアだった私には「田舎の楽隊に毛の生えたような」程度のシンフォニーとしか聞こえなかった。だが、フォン・カラヤンが客員指揮者として来てからは演奏が一変、田舎のシンフォニーがあっという間に本物になった。
その公演で聴いたカラヤン指揮のムーンライトソナタの美しさは今も忘れられない。そしてそれを思い出すたびに、あのボロ校舎でボロ・ピアノを弾いていた永田先生のムーンライトソナタが、高校生活の思い出と一緒に心の底から蘇ってくる。
(完)
作品名:浜っ子人生ームーンライトソナタ 作家名:栗田 清