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大地は雨をうけとめる 第8章 魂の抜け殻

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 噂が広まるのは早い。
『アビュー家とヌスティ家の小侍従二人、怪異に遭遇して寝ついている』
 そう聞きつけた人々が、事件の翌々日には見舞いに来ていた。ほとんどは武術指南院の院生だ。
「どうして、知れ渡っているんだ」
 何人目かの見舞客を送り出して、ルシャデールはつぶやいた。
 おととい、幽霊屋敷で二人を見つけた時、ミナセ家の従僕が助言してくれたのだ。この件は神和家以外に知られぬようにした方がいいと。
 狂気は神や悪霊のせいと、世間一般では信じていたから、狂人の出た家はいわれなき偏見を受け、社会から疎外されることが多い。
 神事を司る神和家では「神がかり」「神憑《かみつ》き」で通すが、それでも、いらぬ厄介事を招かぬように、あまり大っぴらにはしない。
「神和家に決まっている」
 一緒に客を見送りに出たパルシェムは、そんなこともわからないのか、と言いたげだ。
 神和家の間には、昔から静かな闘争があった。
 神和師は月の女神シリンデの神子であると同時に、「始源にして一なるもの」ユクレスを信奉する寺院の院主でもある。ピスカージェンの九つに分けた各地区に一つ、それらの寺院があり、神和師の屋敷と隣接している。
 それぞれの寺院はフェルガナを九つに分けた教区を一つずつ支配しており、荘園を所有する。荘園からの収入が神和家の生活を支えている。
 神和家が何らかの事情で廃絶した場合、荘園などの財産は残りの神和家に分割して与えられる。つまり、神和家が少ないほど、収入が多くなるのだ。
 他家をおとしいれ取り潰そうという企みは、常日頃は深く水面下に漂っているが、ときおり有力貴族やユクレスの大寺院、斎宮院などを巻き込み大きな事件となって顔を出した。
 当然、神和家同士、警戒し合って、必要以上に親しくしない。嫡子同士で仲良くなっても、跡を継ぐと疎遠になっていくのが普通だ。
「おととい、意見も聞くために他の神和家も呼んだろう」
 パルシェムの言葉で思い出した。
 二人をアビュー家に運び込んだ後で、トリスタンとケテルス・ヌスティの間で軽い口論があったのだ。
 ユフェリがらみの瘴気《しょうき》や霊障による病はいかにトリスタンでも難しい。特に、本人が意識がない状態では。彼は他の神和家に助力を頼もうと提案した。憑依呪術を専門とするエニティ家や霊媒としても名高いカラサ・ディクサンに相談した方がいいと言ったのだ。が、ケテルスは難色を示した。
 神和家の小侍従が二人、幽霊屋敷に忍び込んで意識不明になっているなどと、人聞きが悪いというのだ。
『小侍従の代わりならばいくらでもいる』
 ヌスティ家の当主はそう言ってのけた。それを聞いたパルシェムがぎゃあぎゃあ騒ぎ、仕方なくケテルスも承諾したのだ。
「おまえの親父さんは……なかなか薄情だね」
「うん。養父《ちち》はあまりヘゼを好いていない。ヘゼは馬鹿正直だし、変に正義漢ぶるからね。もっと人に合わせてうまくやればいいのにさ。養父は有力な貴族とか役人の息子を僕の侍従にしたいみたいだ」
「へえ」
 それで何をするつもりなのかと、ルシャデールはいぶかった。
「イスファハンは父親が貴族だったから、そっちに知り合いが多いだろう。そういう奴をさ。神和家は代々養子だから親戚がいないし、何かあった時のために有力者を味方につけたいんだろな、髭オヤジは」
 アニスの父イズニードの実家は貴族でも名門と言われるマトケス家だ。しかし、イズニードが町娘と駆け落ちした時以来、絶縁状態だ。アニスのことも親戚とは認めていない。むしろ目障りに思っているようだ。
 アビュー家で何かあっても、頼りにはならないだろう。
「まあ、そういう考えもあるかもしれないね。トリスタンはその手のことは何も考えていないみたいだけど」
「そのかわりデナンが考えているだろうさ。イスファハンは、そういうことは話してなかったのか?」
「何も。ソワムは言っていた?」
「うん。教わるのは腹のうちを探ることばかりだと、こぼしていた」
 アニスもそうだったのだろうか。政争に巻き込まれないような処世を、デナンから教えられていたのか?
 彼は自分の仕事について、細かいことは、ほとんどルシャデールに話さなかった。ただ、わずかに垣間見えたことはある。
 小侍従になって、間もない頃だった。夜中に目が覚めて、ルシャデールが部屋から出ると、彼は玄関ホールの暖炉の前で分厚い本を膝に抱えて読んでいた。
 アニスの部屋は使用人の居住棟にあったが、夜のあかりは卓上のランタン一つきりだ。、ろうそくを何十本も灯した玄関ホールの方が、読書にはよかったのだろう。
 何の本かたずねると、『貴家名鑑』だと答えた。貴族の名簿のようなものらしい。どこの家の誰と誰が縁続きだとか、そういったことが載っている。それを全部頭に入れるようにデナンに言われたという。
 その厚みはルシャデールの手でつかめないくらいだった。それより、何千人いるんだか知らないが、貴族の名をすべて暗記するというのが信じられなかった。呆れた顔の彼女に、アニスはただ微笑っただけだった。
 辛いとか大変だとか、愚痴は一度も聞いたことがない。
「守られていたんだな」パルシェムが言った。
「え?」
「大人の汚い世界のことを主人に聞かせないようにしてたんだろ、イスファハンは。ヘゼは僕にいろいろ話してくれた。で、『ああ、うんざりだ。こんなこと誰のためにやってると思ってるんだ』って、最後に恩着せがましく、言うんだ」
 ソワムの方もおまえに甘えていたんじゃないのか。そう言おうとした時、二階からばたばたと足音がした。
「御寮様! ソワム殿がお気がつかれました!」
「なんだって!」
 二人そろって競うように階段を駆け上がった。
 部屋に入ると、へゼナードは横になったまま、天井を見つめていた。
「ヘゼ! 僕だ、わかるか?」
 パルシェムは彼の顔をのぞきこむ。へゼナードの目が動き、主人をとらえる。
「パル……。ここは、どこだ?」
「私の屋敷だよ」ルシャデールが答えた。「武術指南院そばの幽霊屋敷から、ここに運ばれたんだ」
 施療所からトリスタンが駆けつけてきた。
「ソワム君が気がついたって?」
 アビュー家当主が現れて、ヘゼナードの顔にさっと緊張が走る。何かまずいことをやった、と気づいたかのように。
「御前様……」と、つぶやいてきょろきょろと周囲を見回す。隣で眠ったままのアニスが目に入った。状況が呑み込めたのか、顔から血の気が引いていく。
「アニサードはまだ目が覚めていないが」トリスタンが言った。「彼のことは気にしなくていい。気分はどうだい?」
「わ……かりません。なんだか、ぼうっとして……。」
「薬湯をいれるから、それを飲んでもう少し休むといい」
 トリスタンが自らいれた薬湯を飲むと、ヘゼナードは別の部屋に移された。アニスのことで余計な心労を与えないように、との心遣いだった。
 ヌスティ家へもすぐに使いが出された。
 何があったのか、誰もが知りたがっていたが、彼が話せるまで回復するのが先だった。