妄想恋愛
少しだけ昔話をさせてください。私が貴方に初めて出会ったのはある寒い日でした。医学生として勉強に勤しんでいた私は恋なんてするつもりはありませんでした。恋は自分には必要ない、そう思っていたんです。
けれどあの日私は道端で貴方に恋をしました。ハンセン病を患っていることで後ろ指を指され悪口を言われていた貴方は一つも悲しい顔をせず、ただ一心に前を向いて歩いていました。あの時の綺麗な眼差し、凛々しい横顔は今でも忘れられません。その日から私は貴方を毎日探して目で追って、時には話しかけようとしましたが、貴方の美しさにたじろいでしまいました。やっと声を掛けられたのは二か月後の四月で、もうだいぶ暖かくなってからでした。貴方と話してからは毎日が夢の様でした。出会った時にももうすでに綺麗だった貴方は私と付き合ってからはさらに美しくなって、いつか誰かに取られてしまうのではないかと内心ハラハラしていました。そんなハラハラも貴方と一緒に居る時は嘘のように忘れられて、私は貴方が大好きになりました。
けれど私はあの花火の日の後、大きな失敗をしました。貴方と一緒に生きると言う褒美を貰った私には、少しだけ差別というハンデがついて来ていました。けれどそれは私の人生において小石が飛んでくるような些細なことだったのですが、私はそのハンデのせいで、大きな過ちを犯してしまったのです。医大生の私は勿論勉強しなければいけなかったのですが、差別故、授業への参加が認められない時がありました。私の授業が受けたかったら結核の患者を百人診て来いと教授に言われ、私は結核の患者の治療を一日中行っていました。そんな日々を送り段々疲れが溜まっていった私は、患者に刺した注射器の針を一瞬の気のゆるみで自分の指の腹に刺してしまいました。私の失敗はまさに致命傷でした。その日から約一か月後、陰ながら行っていた自分自身への治療の甲斐もなく私は結核を発症しました。その頃にはめでたく教授に努力が認められ授業の参加の権利が与えられました。けれど私のやる気に比例するかのように私の体調は悪くなって気持ちに体が追い付かなくなりました。自分の中の理想が毎日死んで行って、そして段々医者になる希望どころか生きる希望すら、見失いました。
医学の勉強をしていたばっかりに私は自分の死期が手に取るように分かりました。
そんな時に私に赤紙が届いたのです。病気から、医者になる道から逃げるように私は戦場に向かいました。私は自分の身体のことを誰にも言いませんでした。
免疫力が弱いはずである貴方にも私は自分の身体のことを告白しませんでした。感染してからも貴方から離れなかったことをどうか許してください。貴方に結核を移さない為に貴方と距離を取るなんて、人生の残り時間が少ないと分かっている私には出来ませんでした。貴方のいない世界に私は少しも居たくなかったのです。でもいつか私の死は訪れます。それが急に来るのが怖くて、怖すぎて、私は真実を求める貴方から逃避しました。
隠していたこと、そしてあなたにキスしなかったこと、どうか許してください。私だって、いやきっと私の方が貴方に触れたかった。貴方が生きていることを肌で感じたかった。貴方をもっと知りたかった。
けれど、そろそろなんです。背後から忍び寄る死の足音が段々大きくなってきているんです。筆を持って貴方を想うと貴方の記憶よりも死の現実が私の全身を覆って、気が狂いそうです。今だって、口を抑えた袖が赤く染まって、けれどこれが今日何回目の吐血なのか。もうどうでもいいです。
筆を持つ手が震えています。きっと文字で伝わっているでしょうが。もう手紙もこの辺にしましょう。何だか、疲れました。
嫌だ、死にたくない。怖い、なぜ僕なんだ、なんで結核の患者なんか診なきゃいけなかったんだ、嫌だ、生きたい、でももう遅い、死にたくない、生きたかった、なぜ、なぜ、なぜ
アア、ボク ハメ ヲソ ムケ ル』
最後に記された、殴り書きの文章。
私は膝から崩れ落ちた。