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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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 茜色に輝いていた空も、今はもうかなり光を失ってしまっていた。
 そして――不意に灯りが点いた。
 所々にある街路燈がオレンジ色の光を放ち始めたのだ。蛍光灯のような強制的な光ではなく、どこか心和ませるような色合いだった。それが、二人の前にも後にも列をなして続いている。しかし家々の窓は依然暗いままだった。
「ねえ、どこへ行くの?」
 暖野は、先ほどの質問を繰り返した。
「ある人に、会って頂きます」
 今度は素直に、マルカが応える。
「ある人って?」
「会えば、分かりますよ」
 まあ、それはそうだろう。だということは、彼女の知っている人物だということか。この街に見知った人がいるとは考えられないが。
「それで、その人はどこにいるの?」
「町の外れ、湖を見下ろす丘の上です」
「まだまだ先?」
 マルカの言い方では、かなり先のような気がした。
「そう……ですね。先と言えば先ですし……」
「ずいぶんといい加減なのね」
 先と言えば先……。その後に続く言葉は大体予測がついた。
「ここでは、距離は正確な尺度ではないのです」
「よく分からないけど、永遠に歩き続けるってこともあるわけね」
「可能性としては。でも、ノンノは大丈夫ですよ。正式な招待を受けているのですから」
 マルカの話しぶりから、これから会うことになる人物が少なくとも男性であることは判った。だが、自分を招待するその真意までは分からない。
 それに、距離が正確な尺度じゃないって、どういうことなのか。
 訊きたいことは山ほどあったが、そのうちのどれだけにマルカが答えてくれるものか。これまでの質問でも、明らかになったのはわずかなことだった。
 重要なことは、まだ何も判らないいままだ。本当に暖野の知りたいことは、未だ謎のヴェールに包まれたままだった。
 丘の上で待っているというその人物に会えば、彼女の疑問は解消するのだろうか。
 おそらく完全にとはいかないまでも、今よりは多くのことを知ることができるはずだと、暖野は思った。
 今はただ、マルカと名乗るこの少年について行く以外になかった。自分ひとりでこの状況をどうこうすることができるなどとは、とても思えなかった。
 やがて、街路は唐突に終わる。いや、正確には小さなロータリーがT字路をなしている交差点に出たのだった。
 今まで歩いてきた道の先は森で、そこから先はなかった。
 電車の線路は道と同じようにそこで二手に分かれ、さらにどこかへと延びていた。ロータリーの中央には、駅前のそれとは違って誰かの石像が建っていた。
 暖野はその石像に一目で魅せられてしまった。一見どうということもない石像だった。誰だかはもちろん判らない。だがその人物に、暖野はどこかで会ったことがあるような気がした。
「この像は、この街の歴史のはじめからあったものだそうです。もちろんこの位置にも意味があるらしいのですが、ノンノにはまだ解らないでしょうね」
 真っ直ぐに石像を見上げている暖野を見て、マルカはまたもや謎めいた言い方をした。しかし暖野は、今回は「何故?」と訊くことはしなかった。マルカがそういう言い方をするときは、ほとんど訊いても答えてくれはしないからだ。
「いいですか?」
 マルカが先を促して訊く。
 暖野はそれに軽く頷いて応えた。
 二人はまた歩き出す。
「ちょっと」
 暖野は先を行くマルカを呼び止めた。
 彼が石像の先、真正面の森へ向かおうとしていたからだ。
「そっちには何も――」
 道なんてない、と言おうとした暖野は、その口の形のままに凍りついた。
「何か?」
 マルカが振り返る。
 暖野は目の前で起こったことが信じられなかった。ついさっきまでは、そこに道などなかったはずなのに、今は森の中に一本の小径が出現していた。
「どういう……」
 暖野が言いかける。
 それを遮るように、マルカが促した。
「さあ」
 暖野は半ば放心状態のまま、歩き出した。
 森の中は決して真っ暗というわけではなかった。石畳の道の所々に質素ながら灯りが点されていたからだ。黒っぽい石畳がその光を受けて、濡れたように光っている。
 頭上には樹々の枝が被さり、空はほとんど見えない。
 やけに静かだった。自分の息遣いと二人が路面を踏みしめるかすかな音以外に聞こえるものはない。
 ここには人間だけではなく動物すらもいないのだろうか――
 一人きりではないとはいえ、夜の森はあまり気持ちのいいものではない。変な動物に出てこられても困るが、静かすぎるのは却って不気味だ。灯りに群がる虫さえいない。もっとも、虫がいないのは救いではあったが。
 マルカはまるでそのようなことなど気にも留めていないようで、その足取りに変わりはなかった。
「ねえ――」
 暖野はそのことを訊いてみる。
 黙って歩くのも辛い。間が持たないというか、余計なことを考えてしまいそうな気がした。「ここって、動物とかいないの?」
「いませんよ。だから怖がらなくてもいいですよ」
 マルカが振り向いて言う。
 暖野の抱いている思いに対する答えではなさそうだった。彼はただ単に、暖野が動物を怖がっていると思っているようだった。
 そう言えば、鳥の一羽すら見かけない。カラスとかスズメとか、普段は気にも留めないものなのに、今更ながらにそれに気づく。
 何もいない世界……
 確かに恐れるものは何もないのかも知れないが、生きたものの気配の完全に失せた世界はどこか空恐ろしさを覚えさせる。
「でも、植物だって生き物でしょう?」
 そんな暖野の思いを悟ってか、マルカが言った。
「そうね……」
 暖野は答える。「よくわからないけど、生きてはいるわね」
 完全に思える静寂の中にも植物の営みはある。山でも湖でも、自然は決して静寂ではない。
 それは分かるのだが、この世界はあまりにも静かすぎる。マルカが生きていると言った植物たちでさえ、その営みを止めてしまっているかのようだった。
 道は、それと分かる程度の登りになっていた。きっと、丘の上へと続いているのだろう。ただ、どれほどの高さがあるのかは分からない。
 こんなに歩かなきゃいけないのなら、さっきのロータリーの所で降ろしてくれればよかったのに――
 暖野は思った。彼女をここへ連れてきたバスのことである。それとも、駅行きだからここでも律儀に駅前に停まったのだろうか、と。
 それもまた、滑稽な話だった。
「ねえ、どこまで歩くの?」
 暖野は、先を行くマルカに訊いてみた。
「もうすぐですよ。ここまで来てしまえばね」
 マルカが振り向いて微笑む。
 どんな所へ連れて行かれるのかは判らないが、暖野は幾分ほっとした気分になった。いい加減、歩くのに嫌気がさしていたからだ。それに、初めてマルカの肯定的な表情を見られたことは、彼女の不安をかなり和らげた。
 彼女はワンゲル部員として日々の練習はしているし、基礎体力もそこそこあると自認している。しかし調子の悪いときというのはあるもので、今日がまさしくそうだった。それに、暖野は体調以上に精神的にも酷くくたびれていた。
 道はある程度の勾配で、かなり長く続いた。