小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
亨利(ヘンリー)
亨利(ヘンリー)
novelistID. 60014
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

おしゃべりさんのひとり言【全集1】

INDEX|39ページ/136ページ|

次のページ前のページ
 

『空気だけで確実に扱いが変わる!』ということを知りました。

 自分がいい扱いを受けたいなら、それにふさわしい空気をかもし出していなければなりません。夫婦で訪れたとしたら、夫だけいい雰囲気でも、妻がそれを理解していなければ場の空気は乱れます。ましてや落ち着きの悪い子供がいたのでは話になりません。一流の家族は家族関係も健康で、第一印象からスマートなのです。
 私と妻にはそのことがハッキリと理解できました。常にそうなろうと我武者羅にならずとも、自然に身に付き始めました。私たちは大勢がひしめき合う場所でも、私たちの持つ雰囲気で見付け易いと言われます。私たちが空いている店で品定めをしていると、しばらくしてその店は、客が来ていっぱいになるという事がよくあります。ホテルの駐車場に入ると、私の車はロビー前など、目立つ場所に案内されます。人が集まる家は外から見ても雰囲気がいい。そのために庭の手入れを欠かさない。玄関の靴もそろえて脱ぐ。トイレの便座も閉める。妻は家にいる時も化粧をしている。きりがありませんが、した方がいいと思う事をすると、周囲に与える印象がよくなるようです。そして、出来るだけいい物に囲まれる。

 自分の基準値より少しだけでもいい物を選択すると、他の人がそれを見た時に、(それほど自分と違わないのにどうして?)と疑問に思うでしょうが、それはほんのちょっとの心がけで、結果がこれほどに違うことを知れば、真似をしたくなるものなのです。
 高級寿司店に行く人を見ても、自分には縁がないと諦めてしまうのに、回転寿司で高い皿ばかりを食べる家族は、安い皿ばかりを食べている家族からすれば、憧れの対象になります。
 しかし、そこには落とし穴があるのです。一見豊かそうに見えても、経済的には何も変化はないのです。今のままでも多少の豊かさは味わえるのものなのです。豊かそうに振舞うことが癖になり、そんな自分に満足する結果になりかねません。ブランド品を集める女性は多いが、それらを身に着けて出かける先がないのと同じです。

今の基準値を少しあげる。そのうちそのレベルが当たり前になる。
また基準値をあげる。そしてまたそれが普通になる。
これを繰り返すことで元には戻れなくなる。

 これを実践できず踏みとどまる人が多いのは、経済的な成長が伴っていないからです。始めのうちは無駄遣いを減らし、重要なことに集中するといった整理をすれば事が足ります。しかし、やがてそれでは済まなくなってきます。他で経済事情に変化があればもうぎりぎり。だからしばらく息を潜めて様子を見る。こんな状態になれば、もう落とし穴にはまっているのです。
 私も同様に、長く落とし穴にはまっていたことがあります。自分のいる場所が、落とし穴の中だとは気付いていないほど、慣れてしまっていました。世の中には、こんな生活をしている人が、たくさんいるのではないでしょうか。
 これを乗り越えていけるかどうかが、成功する人とそうでない人の違いなのです。

 だから私はこう考えます。

『現状維持は、後退と同じ』
現状に満足はすごく危険なことです。常に進歩していないと、いつか手詰まりを実感することになります。それでは手遅れです。

『等速度運動より、加速度運動』
どちらも、同じことを繰り返しているだけのようですが、結果が違います。
物理的には、加速すると反対方向に力がかかります。それに耐えたものだけが前進できるのです。世の中の流れに合わせているだけでは前には進めないのです。

 頑張っている人は、世間の荒波にも耐える力が必要ですが、勢いに乗りさえすれば、後は楽なんです。世の中の出来事すべてが、自分のために起こっているように感じてきます。
 これらに気付いて走り続けられたことは、私の人生であの方との最高の出会いがあったからだというのは、間違いのない事実です。

     **********

 あの方は晩年、奥様が亡くなられてから生活拠点を遠くに移されました。それであまりお会いする機会がなかったのですが、ビジネス的な連絡以外では、誕生日が私とは二日しか違わないので、毎年のメッセージのやり取りは欠かしたことがありませんでした。
 三年ほど前の私の誕生日に、何の前触れもなく自宅を訪問してくださり、プレゼントまでいただきました。私は感激して、エントランスであの方をハグしてしまいました。

 亡くなる一週間前にも、あの方のマンションを訪問させていただく約束をしたばかりです。その時すぐ会いに行けばよかったのに、私は先送りにしてしまいました。
(なぜこのタイミングでのお誘いなのかな?)と不思議に思いましたが、深い意味は考えませんでした。
 翌日には、(奥さんと娘さんも連れて来れますか?)という問い合わせをSNSでもらい、(確認してみます)と返事し、即答せずに家族で訪問することを楽しみにしました。
 その2~3日後には、(都合のいい日を連絡ください)というメッセージがあり、次に連絡があったのは、スタッフの女性からで、
「あの方が亡くなられました・・・」


 私は途方に暮れました。まだ話したいことがいっぱいあったのに。まだまだ教えてもらいたいという気持ちがあったのに。
 癌だったのは数年前から知っていました。しかし今は安定していると聞いていましたし、あの方は癌さえも克服すると信じていました。
 あの方が亡くなったことに対しては、心の準備どころか予想もしていませんでしたが、そんなことがショックなのではありません。

 私はあの方からもう一つ、貴重な知恵をもらっていたのです。

「うまくいかない時って、必ず思ったように失敗するんですよ。
 欲張ってパンにジャムをこぼれそうなくらい塗った時、うっかり手が滑って、“わざと”そうしたかのように、ジャムの面から床に落ちるでしょ。それみたいに失敗した時って、よくよく考えてみたら、(こうなったら嫌だな)って予感がするもんなんですよ。そういうのを『わざとの法則』って言うんです。
 それを回避するには、『ピッパの法則』を使えばいいんです。ピッと感じたら、パッと動く。何か気になることがあれば後回しにせず、今すぐ対応する。そうすれば『わざとの法則』は克服できるんです」

 私は最後の最後に『ピッパの法則』を使わなかったことを後悔し、ウチヒシガレています。


      終わり(ではないはず・・・)