おしゃべりさんのひとり言【全集1】
ついにターンです。このターンで激しい動きになって、急に酸素を消費してはいけません。なので、これもゆったりと行うので、端から見ていると、「急げ!」と思うかもしれません。実際この頃には、そろそろ息が苦しくなり始めています。
それでも落ち着くことが必要でしょう。少しでも遠くに行こうと、全力で水をかきまくるようでは、距離は伸ばせないと理解していました。
もう少しで酸素は尽きてしまいます。ここが我慢のしどころです。
筋肉の動きはできるだけ少なくして、酸素を使わないようにします。ゆったりまっすぐの基本を崩さないように、折り返して5メートルを超える頃、もう一回水をかくと、急に息苦しくなりました。まあ、いつもこんな感じですので知っていましたが、それでもペースを速めることはやめておきます。
前方の岩崎君が足を着いたのが見えました。彼は35メートルくらいの記録でしょう。
僕は少しずつ息を吐き始めます。両手両足を動かす時は息を止め、体を伸ばして惰性で進むときだけ、息を吐くようにします。
この時のことを僕は、今でもはっきりと覚えています。自分で思っているより、息を多く吐いてしまっていたからです。
水中だと水圧のせいか、興奮してしまっているからなのか、思うように吐く息の量をコントロールできなかったんです。プクプクと吐きたいのに、ブーッ!ブーッ!と吹いて、目をギュッと瞑ったり、大きく見開いたりで焦っていたと思います。
35メートルを超えたと言っても、折り返しの25メートルでは、まだ半分以上の距離が残っています。もう我武者羅に泳ぎたいと言うより、苦しくて暴れたいくらいです。
なんとか我慢して、残り10メートルを超えて限界が来ました。もう吐き出す空気が肺に残っていません。窒息寸前です。
そこからラストスパートです。前述のように胸をペタンコに絞り、体中にわずかに残ってる全酸素をフル活用して、もがくように必死に水を後ろにかいて前に進みます。
この時プールサイドの友達は、僕の顔を見ることなんか出来ませんが、それはもう、物凄い形相となっていたことでしょう。
またこの瞬間の僕の記憶も鮮明に覚えていて(何があっても向こうの壁まで泳ぎ切ってやる、酸素が切れていても、体を動かせる限り)と言い聞かせていました。なぜならその時、(二度とこの挑戦はしない!)と思ったからです。
つまりこの一度のために、限界を突破する覚悟があったということです。
ひょとすると気を失うかもしれませんが。
最悪、死ぬかもしれませんでした。
肺に空気がない僕の体は、筋肉が重いのか、底に着くくらい沈みました。
それでも前に進むことしか考えません。
もう一瞬も止まることなく、小刻みに手足でかいて、前へ前へ。
みるみるゴールの壁が近付いてきます。
そう思えたのは、視野が急激に狭くなり始めたからかもしれません。ホントに周りが暗くなるんです。
意識の方はまだはっきりしている分、無茶苦茶苦しい。
でも、いけそう・・・・・・
映画なんかで、水中から脱出する時に、息が続かずに死んでしまう登場人物っていますよね。その状況に比べたら、プールだといつでも立てますし、そんな限界を超えようなんて考える事、そうそうないでしょう。
そんな限界を超えて生還するキャラクターは皆、気絶してるか心肺停止状態から持ち直して、「プハー!」と息を吹き返します。そしてすぐに何事もなかったかのように、泣き笑って抱き合うってシーンをよく観ますよね。
リアルはそんなんじゃないですよ。
僕はついに、ゴールの壁に手を突き、立ち上がりました。
いいや、立ち上がりながら、壁を触ったと言う方が適切なくらい、水面ぎりぎりから、一気に息を吸いました。
でもすぐに吐くことが出来なくて、上を見上げたまま気を失いそうになったんだと思います。
幸い意識はすぐにつながりました。
(あと1秒遅かったら)なんて想像は怖いです。
周りは歓声で沸いていました。
しかし、僕と目が合った友人達は、急に僕を指差して笑い出したんです。
なにせ、その時の僕は、大量の鼻血を流してたんですもの。
作品名:おしゃべりさんのひとり言【全集1】 作家名:亨利(ヘンリー)