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叔父と キスと 東京湾

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叔父と キスと 東京湾

 先代の春風亭柳朝(大野和照)はお古い落語ファンはご存じだと思うが、この柳朝に叔父は似ていた。柳朝は芝区出身だったが、叔父は荒川区である。顔だけではなく声も口調も、性格(あくまでも柳朝については高座上ではあるが)までもが似ていた。落語ファンには『宮戸川』に出てくる霊岸島のおじさんといえば分かりいいだろうか? 早合点、早とちりの大家で「飲み込みの久太」の二つ名で知られている、あの霊岸島おじさんである。お袋などは常に、あいつは口から先に産まれたような、などと評していたが、なに、あたくしに言わせればお袋の一族は皆、口から先に産まれたようなお喋りだ。
 鍛冶屋渡世であったため年に一度「鞴祭」の際には自宅に大勢集めての大騒ぎであった。あたくしが結婚して初めてカミさんをこの鞴祭の集まりに連れていき皆で騒いだ。自宅に戻ってきたカミさんがしみじみと言ったものである。
「本当に寅さんみたいな世界があるんやね」(カミさんは関西出身)
 彼女にとってはかなりのカルチャーショックだったのかもしれない。

 母方の祖父が亡くなった際に、この叔父が喪主を務めた。葬儀当日の打ち合わせで葬儀屋から「喪主の方はこの文を参考に最後の挨拶を考えておいて下さい」と言われ1枚の紙を叔父は手渡された。喪主の挨拶の例文である。途端にあたくしは叔父に手を引っ張られ裏の仕事場へと連れ込まれた。
「頼む! オレの代わりに喪主の挨拶してくれ。漢字が読めねぇんだ」
「そんなのおかしいでしょ」
「構やしねぇよ。お前だけが大学出なんだから」
(意味不明である)
「いや、おかしいって!」
「分かりゃしねぇよ」
(ますます意味不明)
「な、頼むよ。お前が赤ん坊のとき、負ぶって散歩したよな」
(何を言いたいんだ?)
「そんときに、お前が屁をしたの覚えているだろ?」
(覚えてるわきゃねぇだろ!)
「あんとき、ご近所さんからはオレが屁をしたことにされてな。いい迷惑だったぜ。その罪滅ぼしと思って引き受けてくれ」
 もうわけが分からなくなって、最後の挨拶を引き受けた。
 葬儀が終わって「挨拶良かったな」と言われたが、ちっとも良くない。

 そんな叔父の趣味は釣りだった。
 東京湾でのキス釣り。そう、あの三代金馬も愛した脚立釣りである。
 狙いは「アオギス」、現在は絶滅してしまった東京湾の魚二種のうちの一種。もう一種は「シラウオ」、こちらは落語のマクラでお馴染みな魚。
 東京湾は浦安に通い、船宿から脚立を借りて引き潮を歩いて海をゆく。脚立をたてて潮が満ちるのを待って釣りはじめる。帰れるのは次の引き潮で砂地が現れたとき。なんともノンビリとした風情であったことか。昭和40年の声を聞かずアオギスが釣れなくなり、その脚立釣りは消滅してしまった。アオギスが去ってしまったのは埋め立てと工業廃水が原因と言われている。そのころ幼少だったあたくしはもちろん脚立釣りをした経験はない。酔った叔父の話を聞くばかりであった。今のシロギスは上品でいけねぇ。ホントのキスは旨かったぞ。叔父にとってというか、脚立釣りの経験者にとってキスといえばアオギスだったのであろう。そんな叔父の口からはついぞ大物のアオギスを釣ったという話は聞いたことがなかった。古い魚拓では尺を超えるものもあるというアオギス、叔父には縁がなかったらしい。

 年に一度、叔父が主催して同じ浦安に「簀立てあすび」をしに行った。引き潮で逃げ遅れた魚を簀の中へ入って手づかみで捉えるという、子どもたち大喜びのあすびである。
 脚立釣りと違ってこちらは引き潮でも子どもの膝くらいの深さがあった。カレイやアナゴ、イカなど小ぶりなものから、ときにはには一貫目を超えるような鯛も捕まえることができる。町内の家族30人ほどでワイワイ言いながら夏のひとときを楽しんだ。
 あるときこの簀立てで夢中になって魚を追っていたときのこと、足に激痛が走る。水面から足を出してみると、踝のあたりから血が流れていた。その様子を見ていた船頭が近づいてきてすぐさまあたくしを舟へ乗せ、傷口へ口をつけると何やら吸い出しくれる。程なく別の船頭が一匹のアカエイを捕まえてきた。無事に犯人逮捕である。体長20センチくらいで、それよりも少し長い尾っぽが付いている。その尾っぽの毒にやられてあたくしはしばらく舟でクタっとなっていた。大きいアカエイであれば事前に船頭が取り除けるが、小さくて見逃してしまったらしい。叔父がやってきてひと言。
「おお、良かったな。これがもっと大きかったら足に穴が開いてたぞ」
 ちっとも良くない。

 器用な人で、舟盛り用の舟なども自作していたほど。もちろん皆に振る舞う魚は誰にも触らせることなく自分で捌く。そういえば釣り竿も自作していたっけ。

 長いこと逢えなかった東京湾のアオギスに彼岸で再会していることだろう。
 棺には自作の竹竿が入れられていた。