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天空の庭はいつも晴れている 第11章 慈愛と呪縛

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 空が……なんて青いんだろう。 
 アニスはぽかんと口を開けて仰ぎ見ていた。
 空の色。鮮やかで濃い青さが目にまぶしい。
 れんげ草の咲く野原が広がっていた。ところどころに白樺の木立。セルリアンブルーのオオルリが羽を休めて、ピールリ、ポールリと、よく通る声で鳴いている。枝から枝へ渡っていくリスの姿も見えた。彼らの前を茶色のうさぎが横切っていく。れんげそうの野原が終わると、今度はよく手入れされた芝が続く。
 芝の真ん中は、焦げ茶色の石畳の道が走っていた。十人ぐらい並べるくらいの幅がある。石はきっちりと、爪を差し込む隙間もなく敷かれ、表面のでっぱりやへこみもない。アニスはそれを興味深げに見ていた。
「草の上を歩いてくれる? そこは緊急用だから」
 サラユルは足元の石畳を興味深げに見ていたアニスに言った。すぐにアニスは言われた通り移ったが、首をかしげてサラユルにたずねた。
「緊急用って?」
 サラユルが答える前に、その『緊急用』がやってきた。四人の白い長衣を着たソワニがケガ人を乗せた担架を運んで、前方にある建物へと走っていく。正面に柱が六本ならんだ白い建物だ。
「施療院だよ。病気やけがで死んだ人は、体に受けた苦痛にひどく傷ついていることが多いんだ。だから、あそこで一旦治療してから、次に進むことになる」
「次って?」
 サラユルはそれに答えず
「すぐに父さんや母さんに会いに行きたいだろうけど、せっかくこっちに来たんだから、いろいろ見ていって欲しい。ルシャデールはともかく、君はめったにこんな機会ないだろう」そう言って施療院へと先導した。
 弱った人々が次々と施療院へ向かっていた。一人で行く者はおらず、たいていはソワニが付き添っている。
「ここへたどり着ける人はいいんだ。囚われの野で見たように、死んだことに気がつかず、留まっている人も多いからね」
 施療院はカシルク寺院ぐらいの大きさの建物だ。だが、入って見ると、中はそれ以上に大きかった。玄関ホールはアビュー家のものの数倍はある。両側の壁には滝が流れている。滝の水は岩に囲まれた滝壺から霧か雲のようになって外へ流れ出て行く。滝壺を囲む森。
 数人のソワニがドアの一つから出てきた。
「おお、この子が五十二代目か!」
 彼らはあっという間にルシャデールを囲んだ。どうやらアビュー家のかつての当主たちらしい。ルシャデールは嫌そうな顔をしている。
 サラユルは次にアニスの方を向いた。
「実は君に使いを頼みたいんだ」
 使い? アニスは聞き返した。この施療院に入院している患者が、向こうの世界にいる息子に伝言してほしいと言っているという。どうやら彼が橋まで迎えに来たのは、そのためだったらしい。
「いいですよ、僕でできるなら」
 サラユルはアニスを連れて放射線状に何本もある廊下の一つへ歩いていく。アビュー家のご先祖たちに捕まったルシャデールが、恨めしそうな顔で二人を見送る。
 廊下は果てがかすむほどに長かった。地の果てまで続いているのではないかと、アニスが思ったくらいだ。その廊下の両側に病室がある。一つ一つの病室に患者一人ずつベッドに横たわって過ごしている。
 ドアはついておらず、開け放たれていた。どの部屋もその人が生きていた時に過ごした家のように、家庭的で居心地のいい雰囲気だ。暖炉があったり、壁には絵が飾られ、窓際に庭を作っている部屋もあった。
 患者たちの過ごし方もまちまちだ。本を読んでいる人、窓から入ってきた小鳥にえさをやっている人、他の患者やソワニと談笑している人、シタールを弾いて歌っている人もいた。
 いくつかの部屋を通り過ぎて、サラユルはある部屋で止まった。
「カトヤさん、いい人連れて来たよ。」
 病室にいたのは四十過ぎくらいのやつれた女性だった。長い髪を後ろで束ね、やつれた青白い顔に浮かぶ影は病気以外の心労があることを思わせた。
「息子さんと一緒に働いている子だよ」サラユルは彼女にアニスを紹介し、シャムのお母さんだと教えてくれた。
 意外な事のなりゆきに、アニスは黙って用件を聞く。
「シャメルドは元気にしてるのかい?」かすれた声で彼女はアニスにたずねた。
「はい、元気です。おばさんは病気だったんですか?」
「胸の病でね。ばちが当たったのさ。息子を捨てた報いだよ」
 彼女は苦い笑みを浮かべて話した。
「あたしは十八の時に結婚したけど亭主がすぐに死んでしまってね。子供はいなかったし、実家に戻ったんだ。両親は亡くなって兄の家族の家になってたから、いづらくてね。しばらくして、やもめのパン屋に嫁に行ったのさ。それがシャムの父親さ」
だが、パン屋には亡くなった奥さんとの間に二人の小さい息子がいた。最初の頃はよかったが、シャムが生まれた頃から上の息子たちや姑とうまくいかなくなった。そのうち亭主ともケンカばかりするようになり、結局離縁されたのだという。シャムは残った。パン屋は裕福だったし、一緒に連れて行けばかえって不憫な思いをさせると、彼女は考えたのだ。それに、自分一人を養うのがやっとだった。
 シャムから家族のことはほとんど聞いたことがなかった。家がパン屋で兄が二人いるということぐらいだ。あまり話したくなかったのだろう。
「あの子は……二年前に一度、あたしに会いに来たのさ。あたしは、あの子を追い返した。いくら貧しい生活になるとはいえ、わが子を捨てたようなものだからね。どのつら下げて母親だなんて言えるもんかね」
 それから間もなくだったという、胸を患って寝つくようになったのは。
「何か伝えて欲しいことはありますか?」アニスはたずねた。
「あの子は恨んでいるだろうね」
「そんなこと……」アニスはちょっと考えてから言った。「ないと思います。僕がシャムだったら、やっぱりお母さんのことが好きだと思います。冷たくされても」ちらりとルシャデールのことがよぎる。
「……追い返して悪かったって伝えておくれ。体壊さないように、それと、いつもおまえのことを見守っているよって」
 シャムの母がすすり泣く。
「わかりました、必ず伝えます」
「ありがとう」彼女はやせて筋張った手でアニスの手を握った。
「シャムは僕によくしてくれます。兄さんみたいに、いろいろなこと教えてくれたり、励ましてくれたり。『雨が降ろうと曇ろうと、その上でお天道様は輝いてるんだぜ』ってね」
「それは……あたしが昔父親に言われた言葉なんだよ。あたしはパン屋にいた時、辛いことがあると、自分に言い聞かせるようにシャムに言ってた。ありがとう、おにいちゃん」
 早くよくなって下さい、そう言ってアニスは病室を出ると、いつからいたのかルシャデールが立っていた。
「シャムって赤毛の?」
「うん」
 サラユルが出てきて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう。これであの人も少しずつ回復していくよ」
「シャムのことが心配で、死んだ後も病気が治らなかったの?」
 サラユルはゆっくり首を振った。
「息子を捨てた自分が許せなかったんだ。あの人はもう少しで『囚われの野』にはまってしまうところだった。灯台野の楽師がかろうじてそれを止めたのさ」
 サラユルは玄関まで送ってくれた。