子守り妖精のルラビィ
わたしはおどけて変な顔をしてみせる。
むずかっていた赤ちゃんがわたしを見る。すると、すこしの間だけ泣くのはおあずけになる。
わたしは赤ちゃんのお守役。
子守り妖精のルラビィ。
赤ちゃんって、さっきまでご機嫌だったのに、急に泣き出したりするでしょ?
そうかと思ったら、何もないのに、にこにこしたり笑ったり。
どうしてだか、わかる?
赤ちゃんってね、生まれるまえのことを覚えているんだよ。生まれるまえ、まえに生きていたときのことを覚えているんだよ。
ほとんどのことは忘れちゃうんだけど、まえのことをすこしだけ覚えていて、それを思い出して泣いたり笑ったりするんだよ。楽しかったことや悲しかったことを思い出して、笑ったり泣いたりするんだよ。
わたしは子守り妖精のルラビィ。ある人は、思い出あつめ係なんて名前で呼ぶ。
「ねえ、こんどは何を思い出したの?」
わたしは赤ちゃんに聞く。
そうしたら、赤ちゃんが話してくれる。
まだこの世界のことばを知らないけど、でもまえの世界のことばも忘れちゃってたりするから、目と心で話してくれる。
わたしは、うんうんとうなずきながら聞いてあげる。赤ちゃんが話したことは、わたしの中に入ってきて、赤ちゃんの思い出からは消えてしまう。
こうやって、わたしは赤ちゃんの忘れのこした思い出を引きうける。
わたしは多くの思いのこしからできている。
わたしの身もこころも、赤ちゃんたちの、まえに生きていたときの人たちの思い出でできている。
いまも、そう。
まえに生きていたときの、かなしかったことを思い出して泣きそうになっていた。
赤ちゃんはまだことばを知らないから、どんなに悲しくても痛くても、泣くことしかできない。
でもそれは、おとなが見てそうだというだけで、赤ちゃんはちゃんと思いをつたえようとしている。
「ねえ、お話しして?」
わたしは赤ちゃんに話しかける。
赤ちゃんが私をじっと見つめる。その目から、思いが流れこんでくる。
「そうね」
どんなにひどい思い出でも、もう慣れっこなはずのわたしでさえ、思わず泣きだしそうになるほどのものもある。
この赤ちゃんがそうだった。
でも、どんなにかなしい思い出でも、わたしはほほ笑んで受け止めてあげなくちゃいけない。わたしが泣くことはゆるされていないから。
もし、わたしが泣いてしまったら、その思い出は赤ちゃんの中にとり残されてしまう。そうなってしまったら、もう二度と忘れさせてあげることはできない。わたしの涙は、思い出を固めてしまうから。
「うん。うん……」
うまくできているか分からないけど、わたしはなんとか笑顔のままでいられたと思う。
小さな手をのばして、それをしきりに動かして、その思い出を話してくれる。
「かなしかったね。つらかったね」
わたしは赤ちゃんの指をそっと抱きしめる。そうしておいて、その目をじっと見つめつづける。
赤ちゃんが、にっこりと笑う。
うまくいったみたい。
わたしも笑う。
この子には、ほんとうに手こずった。あまりにも多くの思い出を持っていたから。まだ全部じゃないけど、あと少しで忘れさせてあげることができる。
そのために、わたしは歌をうたう。“忘れのうた”を。
忘れのうたは、古い思い出の上にふりそそぎ、あたらしい思い出のもとになる。ちいさな思い出たちをとかして、赤ちゃんが吐く息といっしょに流れ出る。わたしはそれを見えない袋に詰めて、その思い出をもとの世界に返してあげる。
わたしは歌う。
子守歌という名の忘れのうたを。
おおくの人が、いつどこで聞いたかも覚えていない歌があるでしょ?
それが、忘れうた。
赤ちゃんのお母さんが、ようすを見に入ってくる。ごきげんなのを見て、お母さんもほほ笑む。そして、わたしの方をちらりと見る。
おとなには見えないはずなんだけど、ちょっとしたときに見えてしまうんだよね。それと、歌も聞こえちゃうことがあるんだよね。
そういうとき、おとなは不思議なかおをする。
そりゃ、そうよね。
聞いたことがあるはずなのに、思い出せない歌。どこで聞いたんだろうって考えるんだよね。それに、すごくなつかしいはずだもの。
でも、すぐに気のせいだろうって、お母さんは赤ちゃんのほうを向く。
さて、あとすこし。
わたしはまた、歌いだす。
赤ちゃんの口から、鼻から、目から思い出が流れ出す。
ぜんぶ終わったら、赤ちゃんはねむってしまう。
そう、あとすこし。
もう、ねむそうな顔をしている。
さあ、もうおやすみなさい。
これからは、いい夢を見るのよ。
わたしは赤ちゃんから、そっとはなれる。
しあわせになってね。
お母さんも、この子にいい思い出をいっぱいあげてね。
じゃあね。
あ。
また忘れるところだった。
わたしったら、おっちょこちょいなんだから。
はい、さいごの仕上げ。
赤ちゃんに、そっとキスをする。
これで、赤ちゃんはわたしのことを忘れる。
こんどは、たのしい人生だったらいいね。
「じゃあね。バイバイ」
作品名:子守り妖精のルラビィ 作家名:泉絵師 遙夏