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天空の庭はいつも晴れている 第8章 ミルテの枝

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 翌朝、水汲みをしているアニスのところにトリスタンが顔を出した。もうすでに斎宮院に出仕するための礼服を身につけている。厚地の生地で仕立てられ、裾に銀糸の刺繍が入ったものだ。重そうな上に暑そうだ。
 普段ならこんな早くに出仕することはないが、祭りが近いので忙しいのだろう。
「御前様……おはようございます」
 西廊には滅多に顔を出さない主人の訪れに、アニスは少し驚いた。トリスタンはちょっといいかな、と井戸端から少し離れた方へ彼を呼び寄せた。
「昨夜、君がルシャデールを見つけた時、彼女は何か言ってたかい?」
 アニスはトリスタンを見ながら、考え込んだ。
「えっ……と、お迎えに行った時、僕はみんな心配していますって言ったら、どうでもいいよ、って仰っていました。御寮様は、もし自分がアビュー家の養女でなかったら誰も心配なんかしないと、仰られて。」
 トリスタンは眉をひそめた。その時、イェニソール・デナンが現れた。
「御前様、こちらでございましたか」
 トリスタンは侍従にちょっと待て、と言うように手の平を向けて押しとどめた。
「それで?」
「誰かに自分のことを一番に考えてくれる人が欲しいんです。でも、御前様はそんな風に考えてくれていない、と御寮様は思っています」
「一番か……言ってやるのは簡単だ。だけど、あの子は嘘を見抜く。嘘を言ったら、その後は二度と信じてもらえないだろうな」
 トリスタンは独り言のようにつぶやいた。
「一番でなくてもいいから、大切なら大切だと言ってあげてください」
「うん、そうだね」
「御寮様は投げやりというか、どうでもいいような感じでした」
「それでも、屋敷に戻ってくれたんだ」
「はい」
「その他には?」
「その後は、だいぶ具合が悪くなっていて。動けなかったようでしたので、カズ……いえ、一人で負ぶってきました」
「君はすぐに彼女がどこにいるかわかったんだね?」
「え……それは……」
カズックのことは言っていいのか判断がつかなかった。
「他の人の秘密に関わることなので……ごめんなさい、僕の口からは言えません。御寮様にお聞きになってください。御寮様はよくなられたんですか?」
「うん、まだ眠っているが、熱は下がったよ。……君はルシャデールのことを大事に思ってくれているんだね」
「はい」アニスはにっこり笑って答える。「御寮様は……本当は優しい方だと思います。ただ、きっと、怖いんです。また、見捨てられてしまうんじゃないかと……。それに、自分の気持ちをうまく言えなくて。本当はとても寂しいんだと思います」
「ありがとう、アニス。それから、執事の部屋には行かなくていいよ。私が直接聞くと言ったからね。事情聴取はなしだ」
 アニスの顔がぱあっと綻《ほころ》んだ。朝からそれが心配で落ち着かなかったのだ。ありがとうございます、と頭を下げて、正門へ向かう主人を見送った。

「いい子だ」正門へ歩きながらトリスタンは言った。
「はい」侍従がうなずく。
「ルシャデールにも近いうちに侍従を決めてやらねばならない」
「……彼をと、お考えですか?」
「うん」
「アニサードは多少、心根の弱いところがございます」
「わかっている。侍従は辛い役目だ。見た目はいいが、何を置いても主人大事。主人のために泥をかぶり、非難を受けることもある。犠牲にしなければならないことも多い。そうだろう?」
 デナンは答えなかった。
「主人の方もそれを理解していなければならない。主人と侍従、互いの間に信頼がなければやっていけない。しかし、ルシャデールが信頼できる者となると、そう多くはないだろう。あの子は人の心を見抜く。だから、むしろ純な子の方がいい。強さはあとで身についていく。そう思わないか?」
 トリスタンの言葉に、侍従は黙ってうなずいた。
 
 ルシャデールはベッドの上に起き上がっていた。
トリスタンの手当で熱はすっかり下がっていたし、少しだるさは残っているものの頭もすっきりしていた。
 一晩中ついていてくれたソニヤは朝から元気に、彼女の世話を焼いている。体を拭き、寝具を取り換え、今はルシャデールの食事を取りに厨房へ行っていた。
 ルシャデールはそっとベッドから出て、窓に寄った。夕べの雨はすっかり上がり、きれいに晴れあがっていた。アニスが庭の水盤のところにいた。足元に木桶が二つある。水盤の水を取り換えるのだろう。
 雨の中、彼は迎えに来てくれた。本当は待っていた。アニスでなくても、誰でもいい、探し出してくれるのを。
(私を一番にしてくれる人を一緒に探してくれるって言ったけど……一緒に探すってどういうことをしてくれるつもりだろ? いや、あいつもわかってないかもしれない)
 わかってないけど、何かしてくれようとしている。それが、うれしくて、おかしくて、ルシャデールの口に笑みが浮かぶ。
 その時、アニスが振り向いた。よくなったんですね、と言うように、笑ってルシャデールに向かって小さく手を振る。彼女も振り返す。
 立場をわきまえなければならない、と彼は言っていた。そういうものかもしれない。王子と乞食が友達とは聞いたことがない。王子と乞食は友達になれないのか?
トリスタンと話さなきゃならない。ルシャデールはそう思った。開かない扉の前で、駄々をこねる幼児のようなまねをするのは、そろそろ終わりにしよう。鍵をくれと、言うだけでも言ってみよう。
「あら、ベッドから出て大丈夫ですか?」
 ソニヤが戻って来た。彼女の後ろに二人の従僕が食事を運んできていた。彼らは居間の方に手早く、食事の用意をする。ルシャデールはガウンを羽織り、食卓の前に座る。今日はトルハナではなく、そば粥があった。ミルクとはちみつ入りだ。それを彼女はゆっくりと味わって食べる。
「トリスタンは?」
「今日はドルメテ祭の準備で早くから、斎宮院にお出かけです。先ほど屋敷を出られたかと思いますわ。」
「帰るのはいつ?」
「ドルメテまであと三日ですから、終わるまでお帰りにならないかもしれませんね。」
 そう、と答えて、ルシャデールはオレンジジュースに手を伸ばす。
「ラーサ師は?」
「今日はいらっしゃいません。御寮様のお加減が悪いと伝えてあります」
「それなら、ソニヤ、私はご飯の後しばらく横になっているから、おまえも少し休んでいいよ。夕べ、ほとんど寝てないんだよね?」
 ソニヤは驚いて大きく目を見開いた。それから「大丈夫ですよ」と、うれしそうに微笑んだ。ルシャデールがそういう気遣いを見せるのは初めてだった。
食後は再びベッドに入る。部屋の中は静かだった。
 遠く街の方から、ハカリという弦楽器を奏でる音が聞こえる。祭りのために楽師や芝居の一座がたくさん来ているという。暖かな風が開けた窓から吹き込んでくる。
 気持いいな。ユフェリみたいだ。ルシャデールは思った。
昨夜、ソニヤはルシャデールのそばで手を握っていてくれた。ときどき、額に乗せた濡らした手ぬぐいを取り換えていたのも覚えている。