『 帽子にツバ 』
「帽子なんていらない、ぽーい」その子供はそう言って脱ぎ捨てた野球帽を投げた。俺はすれ違うまで、その帽子を捨てた子が昔の自分にそっくりな容姿であるとは気づかなかった。おまけに、母親に対するパフォーマンスでもなく、どうやら周囲にほかに人も無い。仕方なしに少し戻って帽子を拾って埃を払い落し、渡してやる。「かぶったほうがかっこいいぞ」男の子は特にとまどった風もなく、そして当然のように受け取ってすぐに頭に乗せて言った。「チームが負けたから、この帽子のせいで」「うーん」「向こうのほうが色が強いからかも」ごそごそとポケットを探り、何かないかと考える。カギと小銭以外、何もない。「ちょっといい?」鍵束のリングを外し、帽子にはめ込む。「これで、少し強くなる。金属帽子」男の子は俺の小銭のほうが良さそうにしていたが、喜んでいる風に礼を言って走り去ってゆく。それまでの人生、と俺は振り返ってみる。あまり帽子をかぶった記憶がない。スポーツもそんなにしていないし、何か雑誌のコーディネイトをマネして作ってみた頃くらいの話だ。だけど、上方には一応、こだわりがあって、そういうはねてるみたいなニュアンス的なものも全部、つぶしちゃうだろ。それを今俺はまたかぶらせた。危険もバカも回避できるそのツールを大切にしなくちゃいけないよな。