星取り
彼が星取りの旅に出ると言い出したのは、本格的な冬支度に入るころだった。
「おまえ、どうしてこんな時期になって」
「これから冬だよ。雪も降るのに、せめて春まで待てないの」
しかし彼は荷造りの手を休めなかった。
「収穫祭が終わるまでは待った。冬の間なら俺がいなくても母さんたちも困らないだろう」
「でも星取りの季節はもう終わりだろうに。こんな時期に星なんか取れやしないよ」
星取りの最も盛んな季節は、晩春から初秋までである。刈り入れも終わったこの時期に、星取りを目ざす者は彼のほかにはいないだろう。
それは彼にもわかっている。
「俺の毛布、持って行っていいだろう?」
「母さんの話をちゃんと聞きなさい!」
「聞いてるよ」
見下ろす母はひどく小さかった。
「……そんなにまでして星を取りに行く、どんなわけがあるの。何の願いをかけようというの」
「それは言えない」
願いは星ひとつにつきひとつだけかけられる。願いは決して他言してはならないと言われている。
毛布をたたみ終えると、彼は母の肩をしっかりと抱いた。
「心配しなくても帰ってくる。そしたらもうこんな馬鹿は言わないから」
星取りの旅は夜に始まる。
既に夜は上着なしでは寒い。女たちは肩掛けで体を覆い、男たちも襟をかき合わせ首を縮めて見送りに集まってきた。
「気をつけてね」
「無茶をするなよ。来年の夏にも星取りはできるんだから」
彼はひとつひとつの言葉にうなづいて応えた。
「星の宮が開くぞ」
誰かが小さく声を上げた。彼も見送りの人々も、一斉に小さな宮の扉を見つめた。
今年の夏には、宮の前広場からあふれるほどの旅人が、同じように息をつめて扉が開くのを待っていたものだ。
細く開いた扉から、冷たく澄んだ風が吹き出した。空気が小さく渦を巻き……目を凝らすとそこに背の高い人の姿が現れていた。
黒い髪覆い、黒い瞳、黒い衣。冬の月の面のように蒼白い顔の中で、唇だけが僅かに紅い。
(旅人は、前へ)
扉の奥から聞こえるような声に促されて、彼は短い階段を上った。
黒衣の人は小さな星図表とコンパス、取った星をおさめる小箱を彼に差し出した。どれも鈍い銀色に光っていた。
(願いを叶える星と巡り合えるように。再びこの地へ帰るまでの無事を祈って)
黒い袖がふわりと広がり、彼の体を包みこんだ。
そして、その腕を開いたとき。
彼の姿はどこにもなかった。
声にならない嘆息をもらす人々に黙礼し、黒衣の人は吸いこまれるように宮の扉に消えた。
どこともわからぬ夜の草原を、星図表とコンパスと小箱だけを持って彼は歩いていた。しっかりと背負っていたはずの大きな荷は、いつの間にかなくしていた。
彼は泣いていた。
夏に旅立つ人々を見送りにいって、あの黒い瞳に魅せられた。もう一度あの姿を見たい。大勢の中の一人としてではなく、自分だけにあの不思議な声で話しかけて欲しい。あの袖の中に抱かれたい。
彼の願いは既に叶えられた。彼は、あの黒衣の人に会うことを望んだのだ。
冷たく澄んだ湖のような匂いが彼の肺を満たした。
空を仰ぐと、こぼれそうなほどの星が瞬いている。
(星はもういらない。もう何も必要ない)
彼は三つの品物だけをしっかりと両手に握り締めたまま、どこまでも歩きつづけた。