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蝉時雨

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宿雨のちょうど真ん中の早朝、水たまりが決壊し、何かの悲痛の声がぴーぴー響いたときに、私は生まれた。
 実に不思議な感覚だが、生まれた瞬間に私は、私という概念を供え持ち、さらに雨という気象現象すら理解していた。これが何とも不思議に思えるが、当時の私はそんなことを思いつくはずもなく、流暢に景色で遊んでいた。
 雨粒が私にぷつと当たると、体の内から何者かが這い出てくるような不気味さを感じた。そして同時にその不気味さは過ぎ去ったあとに妙な高揚感も運んできたのであった。
 私は一際大きな幹を持つ大樹を故郷にしているようで、体に触れる大樹のエネルギーと言おうか、そういう圧倒的な力の差を感じながらも、そこに敗北感のような惨めなものを一切感じず、むしろ絹糸に包まれたような、大らかな気持ちさえ抱いていた。
 そういう気持ちの良い大樹の表皮だったが、私は、もう一人の私と言おうか、そういう自我から、地面に急げと急かされていた。私と同じ表皮の隙間に生まれた仲間たちは動き出すとすぐに隙間からひょいと抜け出し、体が引きずられる方向に向かってゆっくりと歩いていく。その仲間のお尻のほうから雨水が勢いよく、個体となって降り注ぎ、運悪く仲間の内、一匹がそれにあたり、空中に投げ出された。そしてそのまま姿が見えなくなると、他の仲間の狂気な錯乱が隙間から垣間見えた。
 その光景を見た瞬間に、もう一人の私が囁くことに素直に従うことができなくなった。さらにこの隙間が大層居心地が良いものであったことも助長して、雨が降り止むのをじっと待っていたのだ。
 
 この待機が実にやっかいなことを引き起こしたのだ。
 私は大樹の表皮の隙間で、自分の柔らかな表皮が日に日に硬くなっていくことを感じていた。硬くなるにつれ、体を動かすたびに生じる軋みが強くなり、自由に動くことが困難になりだしたのだ。
 そして待機していた数日の間中、もう一人の私は変わらず囁き続けていた。地面に向え、急ぐのだ。さあ、今、そこから出ていくのだ。という趣旨のことを、言葉を巧みに変えながら私に囁く。その囁きが実に小さなものであったが故、私はその囁きに体を動かされることなく、体を硬くさせてしまった。

 宿雨が終わって二日目の朝、気温の上昇と共に、私も目覚めた。その瞬間、視界一面に何か、大きな生物が覆いかぶさっていることに気が付き、私はもう一人の自分の声を思い出した。あれは忠告だったのだ。ああ、なぜ私は素直に従っておかなかったのだろうか。大きな黄色い目がこちらをじっと見ている。私は隙間の奥にいたため、容易に啄まれずに、こうして監視されているのだろう。隙間の入り口には鋭い鉤づめも見える。ああ、あんな堅そうなつめで体をえぐられたら、どんな痛みになるのだろう。いくら硬くなった私の体でも耐えることは不可能だろう。表皮を容易く貫通し、内側の…。

 大きな生物はよほど間抜けだったのか、もしくは目が悪かったのだろう。大きな生物がこちらを見ていない隙をついて、うまく隙間を抜けられたのだ。しかし、硬くなった体は自由が利かず、私は隙間から体を乗りだした途端、雨のように地面に落下した。




 それから一年が経ち、また雨が連日続き、私は湿った土に覆われていた。地面の中は光こそないが、地上では役に立たなかった何かが目の代わりになっているかのように、視界は鮮明に景色を捉えている。
 景色はほとんど差がない、土だけだが、立派な根がいくつも張り巡らされていて、それらをよけながら、一際輝く根を探した。そこまでもごもごと進み、私は目の代わりとなるものの機能を停止させ、代わりに根に口をさした。
 そしてそのまま土塊になって、私の目のようなものが暗転した。





 土塊はやたら乱暴に起こされた。湿った土が急激に乾き、土塊と土壌の間に僅かな隙間を作ったのだ。その隙間にどこかからか運ばれてきた空気が溜まり、私は久しぶりに鮮明な呼吸をした。それまでは土混じり空気を用いた呼吸で、どこか粉末的な空気を吸っていた。純粋な空気を吸い込んだことは地中のあらゆる事象よりも鮮明な活力を運んできた。
 では鮮明な活力とは一体、どういうものか。私にとっては不活発に生存していた体が活発に動くことを願い、あらゆる事を考えることだった。
 不活発な体で、根から樹液を吸うだけの日常の中では、何かを考えることはできずにいた。むしろ、今日の樹液の味の濃さや薄さに一々反応し、そしてそれ以上の思考を続けない。ただ、味が濃いなあ、薄いなあと呟き、たまに周囲の土を掻き分けるように体を動かすだけだった。
 それが急激な空気の注入によって、まるで洞窟から地底湖に抜け出たような。開かれた気持ちを抱いているのだ。
 空気を吸い込むたびに、体中を巡っていた液体が激しく再活動しだした。それまで滞っていた体の末端にもその液体が流れ出し、急激な変化に体は異様な熱を持っていた。カッカと今にも燃えだしそうな体を押さえつけ、どうにか自分の中に押し込もうとする。それに抵抗するように液体は沸騰するかのように体の膜を打ち破ろうとしている。
 
 しばらくすると液体は静かな沸騰となり、体の内側で自分をうまく扱得ているような感覚と同時に潤滑な思考が廻った。その思考を逐一記述していくことはやめておきたい。大抵の事柄は全く見当違いのものであったからだ。

 液体がゆっくり凍っていくような、そういう不安が突如現れた。今、私の内側を流れる液体はどう流れているのかさえ分からないほど自然な流れを保っている。急激にせき止められる気配もなく、どこまででも続いて行けそうな、そういう感覚の中での突然の不安だった。
 例えば雷雨が地中のちょうど上の、空中で展開され、雨水が大量に降り注いだら、地中に残されたわずかな空気は雨水に押し流され、晴れた後も土混じりのあの空気しか吸えなくなってしまう。そうなれば、体の中の液体はゆっくりと胎動をやめ、末端には液体が流れなくなる。そうなれば、また樹液の味にしか思考が働かなくなってしまうのだ。
 私はそれに対し、異常なまでの不安を重ねていった。四方八方に不自由なく広がるこの鮮明な思考を奪われることを何より恐れたのだ。この自由な思考を奪われると言うならば、体中の液体を体外にぶちまけ、樹液を一体化して地中に埋まりたい。
 
 私の不安は次の日には現実となった。何やら周りの土が湿りだしたと思った矢先、一粒の水滴の侵入に続いて大量の水が空気の層を埋め尽くした。その中で私はなぜか窒息することなく緩やかな呼吸を続けていた。しかし、確かに空気の量が減ったため、液体がゆっくりと動きを緩めていき、ついにはおしりの方に液体が回らなくなった。
 水中であるにもかかわらず僅かな呼吸ができていることも不思議ではあったが、そういう不思議よりも、自らの自由の最後を思うと体中が軋みだし、一切の感動や感情を通り越す激情が私を支配していた。


作品名:蝉時雨 作家名:晴(ハル)