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新選組異聞 疾風の如く

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プロローグ



  遙か北の地――、桜の木を見上げる男がいた。
 黒地に僅かに金を配した上着とベスト、膝までの黒いブーツ、肩に散る黒髪がサラサラと風に運ばれる。
「ふん、こんな状況でも桜だけは咲きやがる」
 刀を手にし、男は漸く膨らみ始めた桜の蕾を皮肉った。
 先ほどまで鳴り響いていた大砲や銃声、爆音は止み、ここが戦場であるなど嘘のように静かであった。まるで――、時が止まったかのように。
「副長、新選組隊士全員揃いました」
 その知らせに男は、ふっと笑う。握りしめていた片手を開けば、『誠』の一字が記された鉢巻きがある。動乱の世を仲間と共に駆け抜け、生きた証し。彼が戦い続ける証し。
 はっきり言って、状況は良くはない。
 転戦に次ぐ転戦――、北へ北へと向かった彼が辿り着いた地の春は遅い。
(――ここが、俺の最期の地になるだろうな。近藤さん)
 そこには、今は亡き男がいた。
「らしくねぇぞ。歳」
「そうですよ。土方さんは、土方さんでしょう」
「行って来い、歳。お前の誠の旗、翻して」
「ああ、わかってるよ。近藤さん、総司」
 二人は、微笑みながら消えていく。
 これまでの人生、悔いはない。それが、己で決めた道であり、運命。
 胸の内に戦いの火が燃える限り、これまで刀一本で切り抜けてきた。彼のその火は、今も消えてはいない。
 そうしてもう一度、桜を見上げる。
 懐かしき戦友はもういなかったが、彼のかその脳裏には今も焼き付いている。
「じゃ、行ってくるぜ」
 それは、鬼の副長と云われた土方歳三の最後の戦いであった。
         ※※※
 明治三年――。
 戊辰戦争からまだ一年しか経っていないと云うのに、東京と名前を変えた町は近代化へ舵を切り、過去の激戦が嘘のように静寂を取り戻しつつある。
 そんな東京の南部、日野。寺の階段をゆっくり上がってくる男がいた。黒地の洋装に腰帯に刀を差している。はらはら舞う桜に、男の歩が止まる。四月−――、嘗ての新撰組三番隊組長・斉藤一の姿は、日野の霊園にあった。だが、隣を過ぎて行く者は彼が新撰組の人間だったとは知らない。本当の『彼ら』を、世の人々は知らない。賊軍、朝敵など悪く云う者は多くても、『彼ら』もまた、守りたいものの為に戦い信じ、常に己の中の『誠』に問いながら戦っていたのだと。
「もう、東京の桜も終わりだな……。土方さん」
 語りかける相手は、そこにはいない。会津で別れて以来、斎藤がその男と再会する事は訪れる事はなかった。
 会津より海峡を越えた遥か北の地、遅い春は『彼』をどのようにして戦場へ送ったのだろう。飛び交う銃弾の中を、刀一本で先陣を切った『彼』を。
 墓石が並ぶ霊園は満開の桜に彩られ、桜の花弁が静かに舞う。
「斎藤先生。ご無沙汰しております」
『先生』と言う呼び名に、男は軽く笑う。声をかけて来たのは嘗て、共に戦った青年・市村鉄之助だった。
「よせよ、そんな柄じゃない」
「同じ事を、あの方も言われてました」
 そう言って視線を運ぶ鉄之助と共に、斎藤もそこに視線が流れる。今は亡き男の墓に。
「お前は蝦夷地(現・北海道)で、土方さんと一緒だったな。市村」
「ええ、残った新撰組の皆さんと一緒に。斎藤さんも、お墓まりですか?」
「ああ。久しぶりに、この人に逢いたくてな。思えば、ゆっくり盃を交わす時間があの頃はなかったからな。あの時は思わなかったのさ。もう、この人の怒鳴り声が聞けなくなるってな」
「僕は、一度だけ怒鳴られた事があります」
 そう言って青年、市村鉄之助は笑う。
 市村鉄之助は、新撰組副長・土方歳三の小姓であった。戦果が厳しくなった箱館の地で、歳三は市村鉄之助江戸へ行くよう命じた。自身の写真に、愛刀『和泉守兼定』と髪一房。更に、辞世の句を託して。
 命令に従えないと言う彼に、歳三は怒鳴った。
 
「馬鹿野郎! 理解らねぇか? 足手まといなんだよ! お前のような奴に付いてこられるとな」
 腰から抜いた刀の切っ先を突き付け、鋭い視線は揺ぐことなく市村に向けられる。
 だが、市村にはわかっていた。それが本心ではなかった事を。そして、その瞳に宿る強い闘志は彼の本気を物語る。
「――土方副長……!」
「――お前は残れ。お前はお前、お前はお前なりの『誠』を貫け。それは、ここにいなくても出来るだろう。それに、俺はまだ負けた訳じゃねぇ。まだやれる、そう思えなくなった時が――、俺の最期さ」
「言った事を最後まで成す――、ですか?」
 最後まで戦うと決意した男の覚悟――、一度口にした言葉から逃げず、偽りのない心を最後まで成すという彼の武士道。
 故に、『誠』の字を隊旗にしたのだと市村は以前、聞いた事がある。農民階級の男が憧れの武士となり、新撰組副長にまでなった男は、新しき世に何を夢見るのか。
「次の夢は何ですか?」
「そうだな。故郷の多摩に戻って、魚でも釣るか」
 そう言って扉の向こうに消えたのを、市村は思い出す。そして彼はその心のままに、大砲と銃弾が浴びせられる中を、刀一本で敵陣に向かって行った。

 斎藤は墓の前で屈み、懐かしそうに彼は口を開く。
「早いものです、時ってやつは。この間、こんな筈じゃなかったと云う政府の馬鹿野郎がいましてね。それじゃ俺たちの戦いは何だったのかと腹立たしくて。時代が変わっても、人間はそうは変われない。多くの血を流した上で始まったこの世はまだ揺れている。土方さん、一体俺たちのあの戦いは何だったのでしょうね?」
 供えた線香の煙がユラユラと、天に上がっていく。
 
 ――「なぁ、斎藤。今年は花見でもするか?」
 屯所を、壬生寺から西本願寺に移して間もない頃だ。庭に立ち、腕を組みながら男は桜の木を見上げている。桜は、まだ蕾すらつけてはいなかった。
「珍しい事をいいますねぇ? 鬼の副長とも言われた土方さんが、花見ですかい?」
「笑うんじゃねぇ」
「何でまた、そんな心境に?」
「こっちへ来てから、俺たちは常に戦場だ。いつ散っちまうか理解らねぇ己の命、惜しいと思った事はねぇが――」
「ねぇが、何です?」
 その問いに、答えが返ってくる事はなかった。
 新選組副長となった男には、散っていく命を哀れむ事は許されなかった。それが仲間であろうと、非情の掟の元に命令を下す。
『士道不覚悟により、切腹』
 同じ新選組の中で、鉄の掟は厳守され遂行された。そして屯所を出れば「あれが、鬼の土方歳三」と呼ばれるのだ。隊の中でも、『鬼』と恐れられた男の心情を理解できたのは、ほんの僅か。
 ――花見でも、するか。
 斎藤が、新撰組副長・土方歳三のそんな一面を見たのは、それが最初で最後。
「――結局、花見できなかったなぁ……土方さん」
 
 ――斎藤。
 
 帰ろうとしたその時、彼の声を聞いた気がした。彼が見たのは、当時のそのままに総髪の髷と浅葱色の羽織を風に靡かせ、腕を組んで立つ土方歳三であった。
「土方さん……!?」