木造の講堂
そんなとき、ふと思い立って、久しぶりに実家に帰ってみた。
実家は、地方都市からやや離れた住宅地の一角にあった。昭和五十年代に減反された畑の上に開発された、安い建売住宅のなかのひとつであった。
空は、晴れていた。
昼間の住宅地は人影ひとつなく、陽光のもとに明るい。
都会の喧噪になじんだ自分には、それが妙にうつろに感じられた。
わたしは書斎に入った。
書棚には中国関連の書籍が一面に並んでいた。
亡父の残した蔵書であった。
古典漢籍。近現代の毛沢東思想や共産主義思想に関する書籍。中国文学の研究書。漢和辞典。……
ずらり並んだ背表紙は、主を失ってから何年ものあいだ変わることなく固まっていた。
そのうちの一冊を、手にとってみる。
見返しは、なぜか大修館書店「新漢和辞典」と同じ形式になっていた。
表見返しには中国を中心とした地図。裏見返しには部首索引。
日本語の書籍であった。
別の棚には中国語の書籍もあった。
同じ判型と装丁の背表紙が並んでいる。なにかの叢書らしい。
表題は「中国森林」云々とあった。何の本なのだろうか。
思えば、どの本も、ほとんどまともに読んだことがなかった。
子供のころからそれらの背表紙こそよく眺めて見知っていたが、自分にとってそれはあくまでも風景でしかない。
しかし今なら、少しくらいは中身を読んでみてもいいかもしれない、とわたしは思った。
本を置いて、家の外に出た。
自転車に乗り、子供のころ通った通学路を辿ってゆく。
道中にはほとんど人影を見なかった。
少子化の影響なのだろうか。
信号を渡り、公団住宅に隣接する道を経由して、神社を通り過ぎ、少し左に曲がると小学校が現れた。
小学校の隣には、木造の講堂があった。
わたしが子供のころに解体され、そのあと、鉄筋コンクリートで体育館として新築されたはずの建物であった。それが、どうしたことか、昔のままの姿で残っている。
なつかしさを感じて、わたしは自転車を降り、講堂に向かった。
講堂の扉は開いていた。入ると、木材とニスのなつかしい香りが感じられた。
がらんとした広い空間は暗く翳っていた。中にはやはり人の姿はなかった。灯りは点いておらず、天井の窓から光がわずかに差し込んでいるだけであった。
講堂の床はなぜかすべて剥がされて、粘土質の土が露出していた。
その上には、ひと抱えほどもある大きさの土饅頭がいくつも置いてある。
ひんやりとした空気が地面を覆っていた。
ふと、気がつくと、そこにヒナタさんがいた。
顔色は蒼く、無表情にぼうっと立っている。
わたしが最後に会った時と同じ、ワンピース姿だった。
——ひさしぶりですね。どうしていますか?
わたしは声をかけた。
しかし彼女は応えず、身動きもしない。
何年か前に亡くなっているので、仕方のないことなのだろう。
もう、話すことができないのか。わたしはそう考えると、ひどく悲しくなり、泣きたくなった。