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酔いどれ女子の平和論

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「だからあ、つまりい! 女の幸せとはあ!」

 さっきまでテーブルに伏してクダを巻いていた葛木(かつらぎ)が、突然身を起して叫んだ。それを名城(なしろ)は半目で見やって、無言で水の入ったコップを彼女のほうへ押しやる。
 葛木はそのコップをひったくるようにして掴むと、一気にあおった。「つまりい!」再び酒でひび割れた声を響かせる彼女の横で、黙々とカルパッチョをつつきまわしていた平井が肩をすくめる。

「はいはい、これで十回目のつまり、だわねえ」
「そっスねえ。いつ結論が出るんでしょうね」
「あら、愚問だわ名城。こんなもん結論なんか出ないに決まってるのよ」

 平井は淡々とした声音で言う。常に理性的でいくら呑んでも酔わない体質の彼女は、一杯飲めばすぐ別世界へトリップする葛木にとって唯一「相棒」と呼べる人間だ。大抵の人間は、有能だが酒好きで酒に弱い葛木の相手と後始末に疲れ果てて去ってしまう。それは恋人であっても例外ではないらしい。
 このように稀有な相棒でさえ、葛木の暴走に対しては"面白がりつつスルー"するしか対抗手段を持たないのだから、まだ葛木と知り合って一年と少ししかたっていない上に後輩である名城などは、無言でこの酔っ払いの御高説を拝聴するしかないのである。嗚呼、後輩は辛い。

「平和である事、平穏である事なのよ、つきつめれば! 女の心に平和をもたらせないような男なんて片っ端からもげて爆発すればいいのよおおお」
「あ、やっと"つまり"の次が出ましたよ」
「あら珍しい」

 白身魚を口に放り込みながら、平井が面白がるように目を細める。名城は自分のグラスをちびちびと傾けながら「だけど葛木さんって普段、女の幸せは恋とロマンとアクシデントって言ってましたよね」と呟いた。この時点で葛木からの返答などは期待していない、というか関わりたくないので、質問の矛先は自然と平井へ向かう。

「ええ、そうね。どこの少女漫画から引っ張ってきたのソレ、みたいな。何十年前の価値観を引きずってるのやら」
「なんじゅうねんまえとか言うなあ! つーかアンタ同い年でしょうがあ!」
「ああはいはい、年齢の話題に過剰反応するようになったらもうオバサンの仲間入りよ」

 綺麗に巻いた茶色の髪を振り乱してがぶり寄る長身の葛木を、ストレートの黒髪をさらりと結いあげた平井が華奢な片手でいなす。二人とも迫力のある美人だけに、この構図には中々悲しいものがあった。
 華やかな目元に怒気をみなぎらせた葛木は、それでも決して下品にもバタくさくもならない。どころか、喋っている内容の支離滅裂さを除けばどきりとするくらい綺麗だ。美形はずるい、しかして素晴らしい、と名城はしみじみ先輩二人の顔を見遣る。

「ううんと。つまりー、葛木さんはロマンと波乱に満ちた恋愛に疲れちゃって癒しを求めてると」
「そうそれ! 名城ちゃんそれ! それよあたしが言いたかったのは!」
「でも、そのうちまたロマンと波乱溢れる恋愛に戻っていくのが葛木さんスよね」
「あら名城、中々いい返し。慧眼ね」
「なんであんたが採点すんのよ平井ィ!?」

 ばしばしテーブルを叩きながら、葛木が涙目で抗議する。平井は相変わらず涼しい顔で、熱燗を片手に肩をすくめた。

「あのね葛木、ここは喜ぶ所よ。後輩にちゃんと、あんたの人柄と弱点と思考が理解されてるってことだから。私たちみたいな仕事をしていく上で、プライベートな事まである程度理解してくれる同僚がいる、というのはこのうえない幸運だわ」
「そりゃあ……そうだけど。そうだけど、アンタに言われると納得いかないのはなんでかしら」
「修練不足ね。名城を見習って徳を積みなさい」
「確かに名城ちゃんは目ざとくて気がきくいい子だけどおおお! うわあああん名城ちゃああああん、平井が、平井がいびるう!」
「えっ、うっわ葛木さんくっさ! やめてくださいお酒と納豆の匂いがダブルパンチ!」

 泣き真似しながら飛びついてくる葛木を、うっかりキャッチしてしまったのがいけなかった。容姿端麗、長身で胸元もたいへん豊満な女性に抱きつかれるだけならともかく、その口から漂う酒と納豆の香りに悩まされる、なんてシチュエーション味わいたくなかった。
 ぐいぐい押し戻されて、葛木はしょんぼりと肩を落とす。ここで本気で落ち込むあたりが面倒くさくも可愛らしい、のだがやっぱり酒と納豆のコンボは嫌だ。名城は「すいません」と苦笑して、葛木の乱れた髪を整えた。するとアーモンド形をした彼女の目がみるみる潤む。

「うううう、ほんとあんたいい子よねえ。名城ちゃんだけがあたしの癒しよぉ……」
「後輩にいらん負荷を与えるんじゃないの。大体、名城の癒しは本来あんたのもんじゃなくて高屋のもんでしょ」
「なっ、なん、なんでここで高屋さんの名前が出るんすかね!?」

 突然自分に矛先が回ってきて、思わず声がひっくり返る。平井はにやにやしながらおちょこを煽ると、切れ長の黒い瞳を細めてにっこりとほほ笑んだ。

「気付いてないと思ってたの? 甘いわねえ」
「あっ、そうだ忘れてた、それについても聞こうと思ってたんだった!」
「というより、本来はそれが主目的だったんでしょうが。全くもう」
「いやーごめんごめん、まさかのこのタイミングで別れ話が来るとは……ああ、いやいや、もういいのよそんな事は。今大事なのはあたしの過去より名城ちゃんの未来よ!」
「聞きようによっては名台詞なのになあ! 使用目的が残念すぎる!」

 項垂れつつ視線を逸らす名城の上に、先輩二人の視線と輝く笑顔が突き刺さる。

 ――女の平和とは、即ち適度につっつきまわさないでおいといてくれる友達を持つ事ではなかろうか。いや、これも嫌ではないけれど。
 名城は熱の上る頬をごしごしこすりながら、どうやってこのピンチを切り抜けようかと算段を巡らせ始めた。


<完>
作品名:酔いどれ女子の平和論 作家名:穴倉兎