ここに来た17 聖地エルサレム
17 聖地エルサレム(イスラエル)
女子高生ぐらいに見える戦闘服姿の5〜6人がコンビニで買い食いをしている。
全員が肩から銃を提げて、楽しそうに屯してるのを見ると、平和なのかどうだか分からなくなる。
エルサレムといえば、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地(発祥の地)として、場所の取り合いで血みどろの歴史がある街だ。
現代では、その地はイスラム教寺院によって占拠され、周囲にキリスト教とユダヤ教が陣取る形で落ち着いている。
私は、そこら辺の歴史にまったく興味がなかった。
でも、この国で仕事をする以上、何気ない一言で、現地民との宗教上の対立は避けたい。
日本人の感覚では、宗教に対する温度差は、0度と100度ほども違う。
ならば、実際に聖地を観に行こうと思った。
仕事仲間の日本人同士でツアーを組んで、テルアビブからバスで向かう途中、何度も検問に遭い、ポケットにカメラを隠すのを繰り返して来た途中のコンビニが、冒頭の一場面だ。
まず、バスは城壁で囲まれた旧市街地が一望できる丘に着いた。
イエス・キリストがエルサレムにやって来た時通った丘だそうだ。
大きなラクダが観光客を出迎えている。
写真を撮って、お金を取られるのが分っているので、近寄らない。
はっきり言うと、もうラクダは見飽きている。とても臭いし。
金の屋根の岩のドーム(現在はイスラム教が管理する三教の聖地)が見える。
そのすぐ横に、嘆きの壁(ユダヤ教の神殿遺跡)、そして聖墳墓教会(キリストの墓)。
対立を繰り返している三教の象徴的聖地が、こんな狭い範囲に密集しているとは驚きだ。
隣接しているとは聞いていたが、感覚的には隣駅ぐらいの距離かと思っていたが、まさに隣の建物って感じだった。
イスラエルという国の中では、未だにユダヤがパレスチナ(イスラム教徒)を弾圧し、毎日のように死者が出ているというのに、エルサレム内部は、落ち着いているそうだ。
その城壁も、ガザ地区や、ヨルダン川西岸地区のように、パレスチナを閉じ込めておくための物ではない。
かつてヨーロッパからの遠征軍(十字軍)を阻止するための城壁で、内部を取り合ってきた三つの宗教にとっては、歴史上価値のある城壁だったに違いない。
まず周囲の施設を見学していくと、樹齢2千年を超えるオリーブの木を観て、皆が“縄文オリーブ”などと冗談を言っていたが、それを聞いたガイドは、日本にも2千年を越える縄文杉が存在することを知って、驚いていた。
城壁の中は狭い道ばかりで、起伏に富み、中東ならではの土産物屋が軒を連ねる。
伝統的な小物から、現代アートっぽいものまで様々だ。
こういった砂漠の町では、カラフルな色使いのものが多い印象を受けるが、それは観光客向けの店で、街自体は聖地にふさわしく、石造りに白いのれんやタープで、とても質素なイメージだった。
ユダヤ教の嘆きの壁に祈りをささげた後、ガイドに連れられ歩く道のりは、西洋人向けのキリスト教コースだった。
イスラム教コースは、初心者には危険だそうだ。(本当はどういう意味かよく解っていない)
キリストが十字架を背負わされた地に建つ教会、埋葬され復活したとされる地に建てられた教会。そこにある様々な歴史遺産に直接触れ、写真を撮ることもできるのは、美術品としてではなく、宗教上の心からの救いを求める訪問者への心遣いなのだろう。
キリスト教のエリアを出ると、街の雰囲気がガラッと変わる、そこはユダヤ教のエリアだった。
ここの地理に詳しくないと、自分がどのエリアにいるのかなど、まったく分からないほど、路地が入り組んだ街だった。
しかし、平和だ。
ここの城壁の外、特に砂漠地帯では、常に緊張感を持って行動しないといけないのだが、この街の中は、ケンカや対立もほとんど起きないというのは、やはり聖地に対する、人々の心構えによるものなのだろうか。
ここで争いが起こったら、全世界を巻き込んだ宗教戦争になるかもしれない。
気温が30度をゆうに超える日差しの中、サロンで休憩をとることにした。
道行く人を見ていると、ユダヤの象徴的な帽子キッパを被った人や、イスラム教の民族衣装を身にまとう人、普段着どおりのキリスト教の観光客が行き交う。
そこで飲んだ、ミントの葉のみじん切りがジャリジャリしたレモネードの氷のスムージーの味は、絶対忘れられない。
作品名:ここに来た17 聖地エルサレム 作家名:亨利(ヘンリー)