BYAKUYA-the Whithered Lilac-2
Chapter6 月に牙剥く蜘蛛、月と強欲
ビャクヤの奴隷のような生活が始まって、約一月の時が流れた。
世間体を保つため、ツクヨミは、近所の人々には自身をビャクヤの従姉で、田村小夜子(たむらさよこ)という名を名乗っていた。
ビャクヤにとって、唯一の家族であった姉、ツクヨミが亡くなり、ビャクヤの生活を援助するためにやって来た、ということにしていた。
近所の人々は皆、口を揃えてツクヨミを、亡くなったビャクヤの姉と瓜二つだと言った。
似ていると言われるのには慣れてきたつもりだったが、長年顔を合わせてきたであろう隣人にまで言われて、ツクヨミはやはり、戸惑ってしまう。
ツクヨミは、本物のツクヨミと姿形こそ良く似ている。また、親戚だと辺りには言ったが、自身は生前の彼女の様子をまるで知らない他人であるため、本物のツクヨミの生前の話を引き合いに出されると困ることは少なくなかった。
どのようにして、ビャクヤとの関係性を怪しまれないようにするかが問題であった。
「そうそう、小夜子ちゃん? 最近またビャクヤ君の大きな声が聞こえるんだけど、やっぱりまだツクヨミちゃんの事を悲しんでいるのかしら?」
道端で話していた近所に住む主婦が訊ねた。
ツクヨミは、少しばかりまずいと思った。それは間違いなく、ビャクヤに施している戦闘訓練の声であった。
「ごめんなさい。あの子ったら、私が来てから、通信教育の格闘技を始めたんです。何でも、私を守れる強い男になりたいらしくて……」
ツクヨミは、苦笑を交えて誤魔化す。
「そうだったの! ビャクヤ君、あまり外で体を動かすような子じゃなかったから、おばさんびっくりしちゃったわ」
「私が来たから、あの子の中でも踏ん切りがついたみたいで。ツクヨミさんを忘れようと言うわけではないようですけど、いつまでもお姉さんに依存したくない、と言っていましたわ」
「そうなの。いずれにしても、ビャクヤ君が元気になっているみたいで、おばさん安心よ。あら? もうこんな時間。早く行かなきゃ特売が終わっちゃうわ。それじゃ、またね、小夜子ちゃん」
ツクヨミは、去っていく主婦を笑顔で、軽く手を振りながら見送った。
そして急いで家へと戻り、ビャクヤの部屋へと駆けた。
「ビャクヤ!」
ビャクヤは、連日のトレーニングに疲れ果てて、ベッドで寝息を立てていた。
「んー……」
「何をのんきに寝ているの。起きなさい、ビャクヤ!」
ツクヨミは、ビャクヤに歩み寄り、強く肩を揺する。
「……なんだい姉さん。さっき寝たばかりなんだけど……」
ビャクヤは言うものの、既に七時間は寝ていた。
「戦闘訓練の時間。と言いたいところなのだけれど、それは取り止めるわ」
ビャクヤは、寝ぼけて回らない頭で、ツクヨミの言ったことを考える。
「……うーん。それって。夕方に僕がボコボコにされずに済むってことかい?」
どうにか捻り出した、ビャクヤの答えであった。
「人聞きの悪い言い方しないでちょうだい。ひとまず今日のところは、『夜』に行くまで自由にしていていい」
ツクヨミの言葉は、ビャクヤにとって朗報に違いなかったが、それならばそれで、このまま放っておいて寝かせて欲しかった。
「……さすが姉さん……わざわざ寝ているところを起こしてまで。伝えてくれるなんて。優しいなぁ……それじゃ。お休み……」
「ちょっとビャクヤ! 話しはまだ終わって……」
ビャクヤは既に、再び眠りについていた。
――仕方ないわね……――
ツクヨミはひとまず、ここで自身の考えを伝えるのを止めた。
今日の『夜』がくるまで、まだ数時間残っている。精々奴隷たるビャクヤに、ツクヨミは、束の間の急速を与えるのだった。
※※※
ビャクヤは、あまりの驚きに言葉を失った。
「姉さん? 今なんて……?」
「あら、聞いていなかったの? 三回目は言わないわよ。もう一度だけ、今度は一字一句覚えるつもりで聞きなさい」
ツクヨミの出した提案が、まるきりビャクヤの自由を奪うものだった。
戦闘訓練を近所迷惑になると方便を使い、早朝、『虚ろの夜』に行った後に行うことになった。
また、近隣の住人に怪しまれぬよう、ビャクヤには、長期間欠席している学校へ、訓練の後登校してもらうことにした。
そして放課後から夜まで、ほんの束の間の休息の後に、『虚ろの夜』での、ツクヨミの用心棒として働いてもらう。
ツクヨミの要望、というよりも命令は、このようなものだった。
「どう、理解してもらえたかしら?」
「ああ。良く理解できたさ。『夜』に行ってクタクタになっているところに。姉さんにボコボコにされて。その上学校に行けだって? 休む時間がまるで無いじゃないか!?」
「あら、休む時間なら一応あるじゃない。放課後から夜まで、ね。それから、優等生になれ、とまでは言わないけど、学校では問題を起こさないでね。始末をつけなきゃならないのは、必然的に私になる。姉弟ごっこを演じてはいるけど、素性を知られれば、私達はもう一緒に過ごせなくなるでしょうね」
何も言い返せないでいるビャクヤに、ツクヨミは薄ら笑いを向ける。
我ながら卑劣な手段を用いていると感じているが、ビャクヤの姉への依存性の高さは、この数日間共に過ごしただけでよく分かっていた。
だからこそビャクヤは、この命令に背くことはないだろうと、ツクヨミは確信していた。
「さあ、この話しはおしまい。さっさと準備なさい。『夜』へ行くわよ」
ツクヨミは、自分も準備するためビャクヤの部屋を出ていった。
「…………」
ビャクヤは、なんとも言い難い感情に支配され、固まってしまっていた。
――姉さんは。優しかった……けれど。今の姉さんは。まるで鬼だ。そんなやつ。姉さんじゃない……!――
ビャクヤは、爪が掌に食い込むほどに強く拳を握る。
筆舌に尽くし難かったビャクヤの感情は、この瞬間に明らかな憎しみとなった。
「何をしているの、ビャクヤ。準備をしなさいと言ったはず……」
「……うるさい」
着替えを終えて、再びビャクヤの部屋に戻ってきたツクヨミに発せられた言葉は、ビャクヤの初めての反抗心であった。
「今なんて……?」
聞こえてはいたが、自らに心酔しきっていたビャクヤの反抗に、ツクヨミはすぐに理解ができなかった。
「うるさい! うるさい。うるさい。うるさい! うるさいんだよ! 人を奴隷のように扱って。蹂躙して。お前なんか姉さんじゃない。軽々しく姉さんの姿をするんじゃない!」
ビャクヤは、背中に鉤爪を顕現させ、ツクヨミに振り向いた。
「っ!? ビャクヤ……!」
「その化けの皮。剥がしてやる……!」
ビャクヤは、八本の鉤爪の内三本を、ツクヨミを刺し貫くべく伸ばした。
「っ!?」
ツクヨミは、目を見開き固まった。
鉤爪の先は、ツクヨミを挟むように二本壁に突き刺さり、残り一本は、ツクヨミの顔の横すれすれのところで外れて、いや、わざと外したように刺さっていた。
「…………」
ツクヨミは動けず、その場に黙して立っていた。
「……僕の前から消えてくれるかい? 僕は姉さんを。お前じゃない。本物の『月夜見』姉さんを見つける……」
ビャクヤは、俯きぎみに言いはなった。
「ビャクヤ……」
作品名:BYAKUYA-the Whithered Lilac-2 作家名:綾田宗