暦 ―こよみ―
師走(三)希望の力
十二月らしく冷え込こんだある日、金沢の政興から連絡を受け、和孝、保子、由紀子の三人は取るものもとりあえず、金沢へ向かった。浩一は仕事のこともあり、幼子を三人抱える産後まもない多恵と残り、連絡を待つことになった。
その朝、栄吉が畑で倒れているのが見つかり、すぐに病院に運ばれた。命に別状はないというが、年齢が年齢なので油断できない。すぐさま、東京、横浜に連絡が飛んだ。
病院に駆け付けた東京組三人に遅れること一時間ほどで、横浜組三人節子、重雄、早紀子も顔を揃えた。
「たいしたことなくて、本当によかったわ」
節子の言葉に、保子が相槌を打った。
「本当に、一報を聞いた時は、もう胸がドキドキして……」
こういう場でも、話が途切れないのは女たちだ。男たちはただ黙ってベッドの栄吉を見つめている。
「落ち着いたら検査をするのよね。みんなでここにいてもしかたないから、いったん家の方へ引き揚げましょうか?」
「じゃあ、お姉さんと私が残るわ、ねえ、お姉さん?」
早紀子の提案に由紀子がうなずいた。
「ええ、そうね、お父さんたちはいろいろ話があるでしょうから、帰って」
「俺も残るよ。由紀ちゃんたちはここの人でないから、いろいろ不便だろ?」
「そうだな、久興は一応この土地の人間だからな」
「一応とは心外だな。俺はここに骨を埋めるつもりだよ」
両親たちが引き揚げた後、病室には、由紀子と早紀子姉妹、そして、従兄妹の久興が残った。
「ねえ、久くん、弁護士辞めちゃったってホント?」
早紀子の単刀直入な質問に由紀子はハラハラしたが、久興は気にも止めないようでさらりと答えた。
「ああ、これからは第一次産業につくことにしたんだ」
「そういう表現をするところに、まだインテリ風が残っているわね」
「インテリかあ。父さんみたいに本当に頭が切れる人のことだな。俺は見栄っ張りの母親に尻を叩かれて、無理やり勉強をさせられただけのまがい物さ。だから、実社会では通用しないでこうなった、メッキが剥がれたってわけだ」
「へえ、ずいぶんと潔いのね。もっと早く久くんのそんなとこ知っていたら、いい話し相手になれたのにね」
「母さんの手の中にいるうちは無理だったろうね。どうせ俺のこと、感じの悪い従兄妹だと思っていたんだろ?」
「まあね」
「早紀ちゃん、それは言い過ぎよ」
「あら、お姉さんだって、取っつきにくいって言っていたじゃない」
由紀子は申し訳なさそうに久興を見た。
「いいんだよ、由紀ちゃん。早紀ちゃんて本当に面白い子だね。姉妹でも正反対って感じだな」
「あら、そっちの兄弟はどうなの? 優くんも同じインテリだと思っていたけど」
「優は俺と違って本当に優秀で、性格もやさしくて父さんのいいところを全部受け継いだって感じだよ。ただ、気がやさしい分、母親の顔色ばかり見ているところが残念だな。それに関しては、俺も偉そうなことは言えないか」
「優君、お医者さんだったわよね」
「ああ、いずれ世田谷の自宅を改築して開業するという話だよ」
「すごいじゃない、実家が医院なんて」
「まあな、早紀ちゃんたちも親戚なんだから、何かの時は行ってみるといいよ」
「やだわ、従兄妹に診察されるなんて、恥ずかしくて」
「それもそうか」
夕方になって栄吉の意識が戻り、両親たちが再び病室に顔を揃えた。
「みんなに心配をかけてしまったな。もう大丈夫だからみんなお帰り」
「父さん、たいしたことなくて本当に安心したよ。でも、まだ検査をしてもらわなければ本当に安心できないけどね」
「ああ、検査か……」
「倒れた原因をちゃんと調べておかないとダメだろう? 来月は由紀ちゃんの結婚式だって控えているのだから」
「そうだな、それまでは何としてもがんばらなければな」
「何言っているの、その後だってがんばってよ」
「実は、頼みがあるんだけどな」
「何? 何でも言って」
みんなは出来るだけのことはしてやりたいと、身を乗り出して栄吉の言葉を待った。
「わしを東京の病院に移してもらえないだろうか?」
「ええ!」
一様にみんなが声を上げた。
「どうして? 父さんはここ金沢が好きだっていつも言ってたじゃないか」
「そうよ、どうしちゃったの?」
「わしはもう歳だ。いつ、このように倒れるかわからないし、このまま弱ってしまうかもしれない。でも、どうしても、由紀子の式だけには出たいんだ。東京にさえいれば這ってでも行けるからな」
「おじいちゃん……」
「わしは、お前の花嫁姿を見ないで死ぬなんてことはできんよ。それだけはできない……最後のわがままだと思って、今まだ動けるうちに東京へ連れて行ってくれないか?」
とりあえず、その日は東京横浜からの駆けつけ組は町の中心街のビジネスホテルに泊まることになった。田舎の家は広いが、とても六人もの宿泊の支度などできる状況ではない。これが真夏ででもあれば雑魚寝ですむのだが、金沢の冬ではそうはいかないからだ。
翌日、また栄吉の家に六人は顔を揃えた。そして、久興は祖母の文江を連れて病院へ向かい、その間に残った者たちで、栄吉と文江の今後についての話し合いが行われた。
「父さんの希望を叶えるとしたら、どうすればいいかな?」
政興が口火を切った。
「そうだな、おふくろと二人、預かると言っても場所がな……」
和孝が保子を見た。
「そうですね、ちょうどウチは今、浩一一家が来ていますものね」
「やっぱりウチしかないわね」
節子が言った。
「あら、それじゃ、私が邪魔よね。離れに移ろうかしら」
冗談とも本気ともつかない早紀子の発言に和孝がひと言。
「調子に乗るな」
口をつぼませる早紀子の代わりに由紀子が一つの案を提案した。
「ねえお父さん、お兄さんたちがウチにいる間は、お兄さんのマンションが空いているわけよね? そこで私とおじいちゃんたち三人で暮らすというのはどうかしら?」
「あら、それはいい案ね。お姉さんはおじいちゃんたちのお気に入りだし、うん、いいいい、さすがお姉さん!」
「そうだな、たしかにそれはいいかもしれないな。由紀子が付いていてくれたら安心だ。ひと月のことだからそれで行くとするか」
早紀子と和孝が同意した。
「そうね、ひと月後には浩一たちと入れ替わればいいんですものね」
保子もうなずいた。
「じゃ、由紀ちゃん、お願いするわ。でも、お勤めがあるんだから、お父さんの入院の世話の方はこちらでするわ。介護士の卵が二人もいるんですから」
節子がそう言って早紀子を見た。
「はいはい、まかせてください」
「よし、じゃ、そういうことで」
政興が最後に言った。
「みんなに世話をかけるが、よろしく頼むよ。父さんたちの好きなようにさせてやりたいからな。でも、由紀ちゃんの式が終わったら、こっちに引き取って、今まで通り、こちらでのんびり暮らしてもらうからね」