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女が鬼に変わるとき

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 芳江が我が家に再々訪ねて来始めたのはたしか二年前の六月、その年は例年より雨の多い梅雨の頃だった。雨の日には64サイズの赤い傘を差してやってきた。訪問者のほとんどは門の前でインターフォンを押し、どうぞと言われて初めて格子の木戸を開けて玄関までのアプローチを歩いて来るのだが、芳江だけはいきなり玄関前まで来て「こんにちは」と言った。

「お入りやす」と少しの笑顔を見せた途端リビングへ上がって来る。そして大きめのテーブルの回転椅子に座って何かを待っている。お茶の準備をする私に畳みかけるようにじゃべり始める。
「昨日娘があちらに帰ったから寂しくて」
 芳江は独り者なので娘には異常ともいえるほど執着している。最近爺様の彼が出来たと喜んではいるものの、それも京都在住だからここ九州からは遠くて百%満足というわけではなさそうだ。
 コーヒーと菓子を出すと待ってましたとばかりパクつくが彼女のどうでも良い話は延々と続くのだ。
 
 最近は彼女の顔がひょいと玄関に現れると五分も経たない内に耳鳴りが始まるようになっていた。可哀想な女性(ひと)だから折角訪ねて来るのを断るわけにもいかず、かと言ってテーブルでの対面で話を聴くのは大変なエネルギーを要し私の疲労はピークになる。黙らせようとの魂胆でお茶を出すことにしたのだがその効果は全くない。

 サイズが合わなくなった洋服や取り寄せの甘味を彼女の家計の足しにと渡してきたのだが、最近はそうゆうことは当たり前のことになってしまっていた。それでも私は彼女のことを無碍に扱うことはしていなかった。彼女は私には実に従順だったからだ。


 彼女が頻繁に来るようになって七カ月経ったころ、40代の時浮気を知って別れた夫が入院したと報告してきた。看病に帰れない子供の為に病院へ日参しているという。その頃私は自分の体調が思わしくなかったので彼女の家を訪ねて物を届けることもなかった。電話で様子を聴こうと電話したのだが、彼女の返事は・・「しんどい!」と投げ捨てるように電話口で大声を出した。彼女がそんな失礼な口調で話したのはこの時が初めてだった。
 二度目に電話したとき彼女は「寝てます!」とぶっきらぼうに言い、受話器の音が耳に跳ね返るほど邪見に電話が切れた。
そんなに疲れているのだろうか・・と気になって、夜九時ぐらい、もう真っ暗になった道を車を運転して訪ねてみた。

 彼女の家に着いてインターフォンの無い借家の玄関の戸を軽く叩いた。芳江はなかなか出て来なかったが、暫くして崩れるような足取りで玄関口へ出て来た。
「大丈夫?ご飯食べてないかもと思って来てみたのよ」という私の言葉に、「ご飯ぐらい食べるわよ!」いつもの彼女の従順さはどこにもなかった。次の言葉を吐く勇気もなく、「じゃあ、又良くなったらいらしてね、何かあったら言ってね」と、言い残して帰ろうとしたとき、彼女は、「もう、いいよ―。私のことは構わないで!」激しい口調が返って来た。

 さよならの代わりの言葉が見つからず私は玄関から立ち去ったが何とも嫌な気分だった。
そのことがあってから何カ月か経った。
 少し元気も出て機嫌が良くなってるかなと思い、町の文化祭でコーラスで舞台に立つ彼女に電話をした。

 私が何か言うと「はい・・・」彼女のそっけない声が返って来た。「頑張ってね」と、とりつくしまのないまま私は電話を切ろうとして、「私はあなたを切ったつもりはないのよ」と一言付け加えた。

 すると彼女は、「あんたの言葉に傷ついたからもう付き合えないわ」更に、「あんたが私の言葉に傷ついたと言った言葉がぐさっときたのよ、私馬鹿だから何が傷つけるのかわからないから怖い。大人になってからの付き合いはやっぱりだめね」

 そこまで言うなら私の気持ちも切りが付いた。
もう彼女を物質的に援助することもないし気遣うこともない、というほっとした一瞬だった。

 一年ほど前に彼女が脚を傷めて一日入院したのをきっかけに、退院した後歩けるようになるまで毎日援助物資を届けに行った。自転車にも乗れないので外出もできないだろうと車でお花見に連れて行ったり、外食にも再々連れて行った、その人の最後の一言は、私にとってはまさに良い教訓だった。

 つまり他人の世話を必死になってすることはまかり間違えば逆襲を受けることだってあるということ。困っている人を見ても知らん顔をするのは私にとっては難しい。けれどそこは割り切って必要以上に気遣うことはないのだと自分に言い聞かせた。他人への心構えが一変した一瞬だった。

 身近な人達のことを思い浮かべてみたら、自分のように無償で世話をしている人はいないような気がする。私は今までそうすることが自分の為でもあると正当化していた。

 でもその気持ちを純粋に受け取ってくれる人がいるとは限らない。最初はとても感謝するが密な付き合いになるにつれ相手のほうは看てもらうのが惨めになるのか。
人の心の内はわからないものだ。

「見ざる聞かざる言わざる」の三猿の話は人との距離を示唆している教訓なのか。
昔から言い伝えられている掟を破ると人の心に鬼を棲ませることになる。そんな気がしてならない。


作品名:女が鬼に変わるとき 作家名:笹峰霧子