幻のざあますを求めて
久しぶりに目にする「ざあます」。実際に耳にしたことはないのだが、ぜひ生で聞いてみたいと昔から心待ちにしているのが、このことばだ。なぜかというと、古き良き東京語であるからだ。嫌いな人も多いかもしれないが。
子供のころ、ドラマの中で東京の山の手の気取った奥様方を揶揄する時、盛んにこれを言わせていた。
「宅は(うちは)○○でござあますの」
「まあ、よろしゅうござあますこと」
でも、このころでさえ現実には廃れた、または廃れかけたことばづかいとして、そのアナクロニズムが醸し出すユーモアが期待されていたと思う。ドラマで聞いたころ、自分は杉並区に住んでいて、杉並もそろそろ山の手の仲間入りをした時代だとは思うが、高級住宅のおば様たちの会話を聞いても、こういうことばづかいは耳にしなかった。
「ざあます」と並び称される山の手ことばに「あそばせ」がある。こちらのほうはもっと無垢と品格を感じさせる。学習院女子高等科のテニス部では、ラインからはみ出るロングショットを打ってしまった時には「ごめんあそばせ」と謝るよう指導される―この話は同校のOGから聞いたが、それも30年近く前のことだから、今もやっているかどうかわからない。
そういうわけで、誰かの話を通しては聞くが、「あそばせ」はもう死んだことばだと思っていた。ところが数年前に突然このことばを体験してしまったのだ。場所は渋谷の東急百貨店東横店。店内で壮年の女性とすれ違いざま体が軽く当たってしまった。するとその女性が「ごめんあそばせ」と頭を下げてくれたのだ。その身づくろいは洗練されて派手すぎず。「本当のセレブとはこういう人か」と感じ入ったものだ。
「ざあます」のほうはなかなか本物にお目にかかれない。Cさんの「ござあます」にしても、パソコンかスマホのキーの打ち間違いの線が濃い。
でも、ここでしばし想像の世界に飛躍させてほしい。Cさんは世田谷区かどこかにある古城のようなお屋敷の奥の間で、老婦人から日本語の手ほどきを受ける。
「ようございますか。”Thank you”は『ありがとうござあます』。さ、言ったんさい」
「ありがとうござあます」
「はい、そう。これが、とてもおきれいで丁寧な日本語の礼でしてよ」
このようにして、外国人のCさんは消え往く東京山の手ことばの法灯を継ぐ人となっていく。楽しみだ。そうなれば、生の「ざあます」をCさんから聞くことができるかもしれない。Cさんの成長を見守っていきたい。
作品名:幻のざあますを求めて 作家名:ashiba