【短編集】人魚の島
4
そして、いま、わたしの目の前に魔法少女の生き残りがいる。
雪乃と同じように「心」を持ち、終戦の混乱にまぎれて生き延びた魔法少女は、ほんのひとにぎりだが、確実に存在する。
そうした魔法少女を抹殺するのが、わたしの役目だ。
わたしはその目的のためだけに処分もされず、こうして生かされている。
「どうして〈力〉を使ったりしたの?」
わたしが尋ねると、彼女はベンチに座る少年に熱のこもった一瞥(いちべつ)をくれた。
「原君が……トラックにはねられて死にかけたからよ。死んでほしくなかったの、あたしは」
原と呼ばれた少年が唇をきつくかむ。忸怩(じくじ)たる思いにとらわれているのか。苦悩の色が濃い眼差しは、さっきからわたしをとらえて離さない。
「朱音(あかね)はなにも悪いことはしてない」
原が押し殺した声を喉の奥から洩らす。
「俺を助けてくれただけだ。それでも、おまえは朱音を殺すというのか?」
「彼女はこの世界に存在してはいけないの。彼女は魔法少女で、たくさんのひとを……」
そのさきのセリフは続けられなかった。
いきなり原が叫びながら、わたしに向かって突進してきた。ポケットから手を出すと、にぎりしめたこぶしのあいだにカッターナイフの貧弱な刃がひらめいた。
わたしは〈力〉をつかむ。向かってくる原の頭を狙って、不可視の〈力〉のかたまりを投げつける。
原が「ウッ!」と息をつまらせた。たたらを踏み、その場に倒れこむ。
「原君!」
朱音が悲鳴をあげる。とっさに〈力〉をたぐり寄せようとしたが、わたしの妨害にあってなにもつかめず、驚きに目を丸くする。
「そんな……あたしの〈力〉が……」
「ムダよ。あなたではわたしに勝てないわ」
朱音が憎々しげにわたしをにらむ。なおも〈力〉をつかもうと空しい努力を続けるが、わたしが彼女の周囲に築いた障壁はビクともしない。
わたしのM因子の発現率は、実戦投入された量産タイプのおよそ二倍だ。どんな強力な魔法少女でも、わたしにはかなわない。
わたしは量産タイプを超える、最強のプロトタイプなのだ。
「人殺し!」
朱音が金切り声でわめく。まなじりをつりあげ、唇をきつくかみしめて、わたしに一歩一歩近づいてくる。彼女に武器はない。徒手空拳だ。それでも抵抗をあきらめない。
「ひとを助けるために〈力〉をほんのちょっぴり使っただけじゃない! それのどこがいけないの!」
わたしはなにも答えなかった。上官に監視されているから迂闊(うかつ)なことはしゃべれないし、どのみち朱音を助ける手立てはない。いまここでわたしが対処しなければ、特務第二課の特殊部隊がこの街を破壊してでも朱音を殺すだろう。
わたしは自分の任務を粛々とこなすだけだ。それが、わたしの目的を達成する手段にもなる。
朱音の〈力〉を抑えこむと同時に、別の〈力〉を使って目に見えない網をつくり、憤怒の形相(ぎょうそう)を張りつかせて立ち向かってくる彼女の全身を、隙間なくすっぽりと包みこむ。
朱音が激しく身をよじる。ヒステリックな声でわたしを罵倒する。
わたしは朱音の叫び声を無視する。ひとつ深呼吸して──
朱音を包む〈力〉の網を発火させた。
金色の、熱を感じさせない炎が朱音の肉体を焼きつくし、ひとつひとつの原子へと還元していく。
朱音の声が途切れる。
最後の瞬間、朱音の表情がふと和らいだ。安堵、感謝、幸福──どれにでも解釈できそうな彼女の穏やかな顔つきは、わたしの脳裏に残像となって強く焼きついた。
不意にわたしの視界が薄く翳る。
透き通った金色の翅をまたたかせて、蝶たちがどこからともなく寄り集まってきた。
朱音が立っていた場所に十数匹が群れ、まだ色濃くたゆたっている彼女の残滓を吸いこんでいく。
あたかも朱音の影をなぞるかのように、しばらくのあいだ、蝶たちは小さな公園のなかで金色の渦を巻いていたが、もうここに用事はないと判断したのか、ややあって空高く舞いあがっていった。
わたしは蝶たちを見送って、小さく吐息をつく。
感情を持ちえないわたしに罪悪感はなかったが、それと似た感覚──不快感は残った。
上官には聞こえない胸の奥底で、わたしは独りごちる。
朱音──それはたぶん、彼女が自分自身につけたパーソナル・ネームなのだろう──あなたの「死」は絶対にムダにしないから、と。
倒れている原のかたわらに膝をつき、彼の後頭部に指先で触れる。〈力〉の探針を原の脳内に差しいれ、朱音に関する記憶を入念に消去する。目を覚ませば、朱音のことはきれいさっぱり忘れているだろう。
わたしは声に出して任務の完了を報告する。インプラントの向こう側にいる、顔を見たこともない上官は、わたしの仕事ぶりにきっと満足しているだろう。
灰色に濁った空を振り仰いだ。金色の蝶は、もうどこにも見えない。
わたし自身も自分の仕事の成果に満足している。
わたしはただ単に魔法少女たちをほふってきたわけじゃない。彼女たちのM因子は、わたしの〈力〉を操る技術で微細なカプセルに封じこめられ、人造のウイルスとなってこの世界にあまねく拡散しつつある。
ウイルスを運ぶのは金色の蝶たちだ。魔法少女たちが生みだした、ささやかな魔法の生き物。わたしの命令には忠実に従う。
雪乃と交わした約束を、わたしは決して忘れていない。
わたしは敵を憎み、敵を滅ぼす。この世界は強大な敵に満ちあふれているのだ。
やがて、世界のあちこちで、ウイルスに感染した女性がいっせいに子供を産むだろう。
M因子を持つ、魔法少女たちを。
それが、わたしのパーソナル・ネームでもある、わたしの希望(のぞみ)。
その日がいつか来ることを、わたしだけが知っている。