【短編集】人魚の島
3
おれは凍りつく。
おれを狙っている男の武器を注意深く観察する。武器には詳しくないが……あれはたぶん、対人用の短針銃(ニードルガン)だ。微小な揮発性の針を多数、発射して人間の肉体をズダズダに切り裂く、残忍な武器。あれで頭や胸を撃たれたら即死はまぬがれない。
「あなたは違法な武器を所持しています!」
アイが叫ぶ。
宇宙服のヘルメットがゆっくりと回転した。ヘルメットの外部スピーカーからさきほどの男の声が洩れてくる。
「死にたくなければおとなしくしろ。おまえもだ、AI」
「わたしは不幸です。不法侵入者がわたしの美しい身体のなかに……」
「黙れ!」
男が一喝する。賢明にも、アイはピタリと口を閉ざした。
「……きさま、何者だ?」
おれは男をにらみつける。
「おれか?」
男はせせら笑った。ヘルメットのゴーグルは遮光モードになっているので、ゴーグルの奥にある男の表情まではうかがえない。
「おれはおまえが思ってるとおりの人間だよ、探査局員どの」
「海賊か」
おれの推測は図星だったようだ。男は肩を揺すってヘラヘラと笑う。イヤな笑い方だ。
そうではないかと思った。海賊船はたいてい普通の商船を装っているから、宇宙開発省の船籍アーカイヴに登録があったとしても不思議ではない。船籍アーカイヴに登録されているのに、遭難船のニュースの配信が遅れているとしたら、それはニュースを流したくないからだ。星際警察(インタースターポリス)の戦闘艦が海賊船を撃破したような場合がこれにあてはまる。仲間の海賊船に知られると付近の宙域から逃げてしまう可能性があるので、ニュースはわざと流さない。一般に情報公開しなくてもいいから、せめて宇宙開発省へ一報してくれればいいのに、そこはお役所の縄張り意識が邪魔して、横の連携がまるでとれていないのが実情なのである。
ったく、お偉方の連中がくだらないメンツばかりを気にするから、こんなことになるんだ!
ヤツが船名と登録ナンバーを即答しなかったときに気づくべきだった……。
海賊は腰のポケットをまさぐり、針金みたいな金属製の細い棒を取りだした。おれはひと目でそれがなんの道具なのか、わかった。形状記憶合金の拘束具だ。星際警察(インタースターポリス)がよくこれを使っている。
海賊が針金をおれに向かって放り投げる。針金はおれの体温を感知すると、尺取り虫みたいにモゾモゾと動いておれの身体をはい登る。おれの手首と足首にからみつくと、記憶していた形状──手錠と足かせを復元する。この事態を予想していたおれはなるべく楽な体勢をとろうとしたが、見事に失敗した。
足首をしばられてバランスを崩し、おれは転倒する。下腹部のあたりで交差した手首を、拘束具がしっかりとしめつけている。受け身をとれない。肩口から床に落ちる。激痛がおれの右肩から脳天へと突き抜けた。
意識が暗転しそうになるのを食い止めてくれたのは、おれの手首と足首に巻きついた拘束具だった。骨が溶けていくような灼熱の痛みが手錠と足かせに接した肌を発火点にして全身へと広がっていく。たまらず、おれは悲鳴をあげた。
「マスター!」
いままで耳にしたことがないようなアイの悲痛な叫び声がおれの鼓膜を震わせた。
「マスターになにを……」
「騒ぐな! このぐらいで死んだりしねえよ。安心しな。いまのは警告だ」
足音が近づいてきて、おれのすぐそばで止まった。宇宙靴の厚い底がおれの頭を軽く踏みつけた。おれは声も出ない。息が苦しい。心臓がバクバクと早鐘を打っていた。
クソ、こいつは人間の痛覚神経を刺激するタイプだな……。
拷問の道具として海賊みたいなアウトローの連中に重宝されているシロモノだ。実物を見たのは初めてだが、まさかおれが被験者になるとは夢にも思っていなかった。
「痛かったか? レベルをあげたら、痛みはこんなもんじゃねえぞ。そこでおとなしくしてろ」
海賊は爪先でおれの頭をこづいた。おれはうなり声で応じる。痛みで全身の筋肉がこわばっている。拘束具に触れている肌がヒリヒリした。どうやら火傷をしたようだ。
痛みにしょぼつく目を無理に見開く。海賊はおれから離れてコンソールに近づいていく。おれの視界から外れてヤツが見えなくなった。
「おかしなことをするなよ、AI。おまえが妙なそぶりを見せたら、おまえの大事なマスターは死ぬことになるぜ」
「お願いですから、マスターに危害を加えないでください。そうでないと、わたしはいまよりも不幸になります……」
「そうか。おまえは不幸なのか。だったら、いますぐ楽にしてやる」
床に倒れているおれからは視野の外になっていて、海賊がなにをしているのか、よく見えない。頭を持ちあげて首をねじ向けても、生命維持装置を背負った海賊の銀色の背中しか見えなかった。ささやき声のような作動音がして、コンソールに次々と緑色のパイロット・ランプの光がともっていく。その淡い光が海賊のヘルメットをぼんやりと照らしだしていた。
いったい、ヤツはなにをやっているんだろう……。
おれはたまらなく不安になってくる。ひとつだけ確かなのは、それがヤツにとっては好都合である反面、おれにとっては不都合だ、ということだ。
そのうちに首が疲れてきて、おれは頬を冷たい床に押しつけた。おれの視界に映るのは床と四メートルほど先にあるドアだけになった。ブツブツとこぼす海賊の声となにかを作業する音が断続的に聞こえてくる。
それは長い時間のように感じたが、実際はほんの二、三分だったと思う。
野太い男の声が室内の空気を圧した。アイとはまったく違う、無機質で感情の欠けた、人間の声に似ているけれどちっとも人間味を感じさせない声だった。
「オーバーライトを完了しました。この船のコンピューターはわたしのコントロール下にあります」
海賊が高笑いする。さびた金属と金属をこすりあわせるような、ざらついた声で。
「ああ、これでやっとこいつを脱げるな」
ゴソゴソと繊維のこすれる音がして、カチリと金具の鳴る音が響いた。足音が戻ってきて、銀色の人影がおれの視野を端から真ん中へと移動していく。
海賊がおれの前に立った。おれは顔を仰向けて、そいつを見上げる。
海賊はヘルメットを脱いで、脇に抱えていた。もう必要ないと判断したのか、ニードルガンは腰のホルスターに収まっている。おれを見据える海賊の灰色の瞳は宇宙の絶対零度よりも冷たかった。意外と若い。たぶん、二十代の後半だろう。それでも、その男の顔にはこれまでの戦歴がくっきりと刻みこまれていた。
左のこめかみから頭頂部にかけて頭髪がなく、黄色く変色した人工皮膚が盛りあがっている。右の頬を横切る、ひきつれたギザギザの白い傷痕。まばらな無精ひげに縁取られた顎の線は左側がえぐれて変形している。
おれは海賊をにらんだ。こんなにもひとりの人間を殺したいと思ったのは初めてだった。拘束具がもたらした灼熱の疼痛(とうつう)とはまったく種類の違うドロドロとした熱いものが、おれの心のうちを焦がしていた。
「……きさま、アイになにをした?」
「消えてもらったよ。放っておくと、なにをするかわからねえからな」
「ジャッカーか。クソ、よくもアイを……」