【短編集】人魚の島
約束
「結婚してないの?」
「してないよ。結婚してるように見えるかい?」
「だって、本当は二百歳なんでしょ?」
「でも、僕は見てのとおり、子供だよ。サクラとそんなに違わないさ」
「……今度はいつ来るの?」
「さあ。何年後になるかな。僕にもわかんないよ」
「じゃあ、十二年後にまた来てよ。あたしは二十歳になってるわ。十二年経ってもまだ結婚してないようだったら、あたしがユウの奥さんになってあげる」
「え?」
「約束して」
「僕はスターチャイルドだよ? ずっと子供の姿のままなんだ。十二年後にはサクラのほうが大人になってるよ」
「それでもいい。だから、約束して」
「でも……」
「約束して!」
「……わかったよ。約束だ」
「うん。約束よ。絶対に忘れないでね」
「十二年経ったら、会いにきて。あたしは待ってるから。約束だからね……」
ディスプレイに表示された映像を見て、僕は思わずうめき声を洩らした。
惑星〈ヤシマ〉。
人類発祥の星である地球によく似たその豊かな星は、見る影もなく変わり果てていた。
小惑星との衝突で生じた黒灰色の塵雲が惑星の表面を厚く覆っている。衝突が原因で発生した津波は高さが三百メートルにも達し、沿岸部の都市だけではなく、内陸に位置する都市も壊滅的な被害を受けた。
惑星の衛星軌道上にはいまも無数の宇宙船が周回し、必死の救助活動にあたっている。が、状況は絶望的だ。〈ヤシマ〉には五億人の人々が住んでいたが、そのうちの九割以上が死亡した、と伝えられていた。
十二年前。
僕の小さな宇宙船で、サクラとその家族を別の星からこの星へ運んだときのことを思い起こす。
サクラの両親はいっさいの遺伝子改良を受けつけない自然主義者(ナチュラリスト)だった。〈ヤシマ〉に移住を決めたのも、ここが自然主義者(ナチュラリスト)によって開拓された星──彼らにとっての理想郷(ユートピア)だったからだ。
「南半球の大陸にまだ手つかずの土地がたくさん残ってるんですよ」
サクラの父親は快活に笑いながら僕にそう語った。
「そこで農業を始めようと思っています。寿命はあと五十年ぐらいかもしれませんが……自分の生き方を悔いていませんよ」
寿命が五百年以上で、しかも(宇宙船の限られた資源を極力浪費しないよう)永遠に十歳の子供の姿のままでいる僕のようなスターチャイルドは、サクラの両親から見れば遺伝子操作技術を悪用した人造のモンスターみたいな存在だろう。でも、そんな態度はおくびにも出さず、ふたりはごく普通に僕と接してくれた。
サクラも僕のことを恐がったりしなかった。中身はどうあれ、見かけは自分とそれほど歳が違わない僕を、いつも遊んでくれる年上の友達として扱ってくれた。僕の宇宙船を一手に管理する人工知能(AI)のリリイに対しても、家族はなにくれと気を遣ってくれた。彼らといっしょにいたのは二ヶ月にも満たない短い期間だったけれど、この家族と知り合えてよかった、と僕は心の底から思っている。
だから、サクラと交わしたあの約束を僕はかたときも忘れることはなかった。
たとえ、サクラが約束を憶えていなくても、それはそれでかまわない。
二十歳の大人になったサクラに会えれば、それで満足できたはずだった。
それなのに……。
リリイが星系内のネットからなんとかデータを拾いだそうと、さっきから躍起になっている。
〈ヤシマ〉周辺のネットは、この未曽有の天災によって完全にダウンしていた。どうにか無傷で済んだ衛星軌道上の宇宙ステーションに保存されていたアーカイヴは、救助活動を展開する汎銀河警察軍が早々に接収した。いまは救助活動が最優先され、アーカイヴへの外部からのアクセスは厳しい制限がかけられている。
リリイが絶望的な口調で言った。
「ダメね。かなり強硬な手段を使わないとアクセスできそうもないわ」
「サクラの安否はわからないのかい?」
「ええ。残念ながら、なにも」
僕は唇をかむ。衛星軌道上への進入は警察軍によって禁じられていた。救助活動のジャマになるから、というのがその理由だ。〈ヤシマ〉の地表を探して、サクラを一刻も早く見つけたいのに……いまはなにもできない。ここから黙って見守っているしかなかった。それがひどくもどかしい。
リリイの声が心配そうな調子を帯びた。
「少し寝た方がいいわよ、ユウ。疲れてるんでしょ?」
「僕は……」
「いいからいますぐ寝なさい」
反論しようとして、リリイの断固とした忠告にさえぎられた。こういうときの彼女にはなにを言っても勝ち目はない。彼女の方がいつも正しいからだ。
「……わかったよ。ちょっと寝てくる。なにかわかったら、かまわないから起こしてくれ」
「了解」
僕はシートから立ちあがると、自分のキャビンへ向かった。リリイが看破したとおり、何日もシートにはりついていた僕はヘトヘトに疲れ切っていたのだ。
スターチャイルドだって夢を見る。
そして、夢には二種類しかない。
悪夢か、悪夢じゃないか、そのどちらかだ。
疲労、不安、無力感、悔悟──それらがないまぜになって化学反応を起こした結果、不定形の悪夢となって僕をさいなんだ。
八歳の少女の姿をしたサクラが僕に助けを求めている。小惑星の衝突によって生じた巨大な衝撃波が〈ヤシマ〉の大地を砕いていく。僕が伸ばした手はわずかにサクラに届かない。衝撃波が襲ってきた。サクラが悲鳴をあげる……。
甲高い呼出音で目が覚めた。リリイだった。インターコムから彼女の声が流れでる。
「あなたあてにメールが届いたわ」
「メール?」
僕は寝台に上半身を起こし、額に浮かんだ汗の玉を手の甲でぬぐう。時計に目をやる。悪夢にうなされながらも、二時間ほど寝ていたようだ。
「誰からだい?」
リリイはすぐに返答しなかった。その反応が、彼女が返事をするよりも早く、僕に答えを教えてくれた。
「……差出人はサクラよ」
「すごいわね、これ」
リリイがしきりに感心している。
サクラから僕あてに届いたメールのことだ。自律思考型のオプションがついたメールで、構造はよくできたコンピューターウィルスと変わらない。どうやら宇宙ステーションにあるアーカイヴのなかにずっと潜伏していたらしい。あれだけ厳しいアクセス制限を加えているのにもかかわらず、このメールは何重もの障壁を内側から突破して、僕の宇宙船に届いたのだ。
「サクラがつくったのかな?」
「そのようね。たいした技術だわ。作成日付は……小惑星が衝突した日ね」
僕は無言でうなずく。
認めたくはなかったけれど、だからといって事態が好転するわけじゃない。
わかっている。このメールは……たぶん、サクラの遺言だ。
「メッセージ本文は自己展開型の人格シミュレータになっているわ」
つまり、リリイがつくりだす仮想現実(バーチャルリアリティ)でサクラの分身に会える、というわけだ。リリイが「どうするの?」と尋ねてくる。
「もちろん、サクラと会うよ。僕はそのためにここまで来たんだ」
リリイは「わかったわ」と応じると、メッセージ本文に埋めこまれた人格シミュレータを起動する。
「……準備ができたわ、ユウ」
「ありがとう」