【短編集】人魚の島
千年蝕
夜空を見上げると、四つの月が寄り集まっていた。
黄色の月、赤の月、青の月、そしてその三つの月よりも格段に大きい、光を放たない真っ暗な闇の月。
いま、黄色、赤、青の三つの月が闇の月の背後に隠れようとしていた。この地上に三つの月の光がまったく届かなくなる特別な月蝕──千年に一度の千年蝕が進行しつつあった。
千年に一度のこの現象がなにをもたらすのか、正確な予測は誰にもできない。千年前はとてつもない災厄に見舞われたらしいのだが、詳細な記録が残っていないため、なにが起きたのか、よくわからないのだ。
「宰相」
女王が私を呼ぶ。大広間の奥の玉座に腰かけている女王は王国一の美女だ。彼女より美しい女性を私は知らない。
窓から外をながめていた私は玉座の近くに寄り、女王に向かって丁重に頭を下げる。
「お呼びでございますか、陛下?」
「わたしはとても不安なのです。いったい今夜はなにが起こるのでしょう?」
女王が玉座のなかで身をくねらせる。それを目にして大広間に居並ぶ独身貴族の大半が頬の筋肉を緩める。女王はその若さにも関わらず、絶世の美貌で多くの崇拝者を獲得していた。
女王の崇拝者の筆頭が、玉座の横に控える将軍だ。筋骨隆々とした大男の将軍は、私と視線が合うと太い眉を逆立てた。
自分のようなたくましい男が女王の好みだと将軍は思いこんでいるようだ。ただし、この大広間にいる貴族の半分は効果がいつまでも持続する永久魔法で外見をごまかしている可能性があるので、将軍が見かけどおりの筋肉のかたまりかどうかは怪しかった。
将軍は女王の夫の座を狙っていて、その最大のライバルを私だと勝手に決めつけている。
冗談じゃない。私は女王と結婚するつもりなんか毛頭ないのだ。ところが、女王の方はまんざらでもないらしく、いつも私に秋波を送ってくる。いい迷惑だ。
「ご安心下さい。万が一の事態にも対処できるよう、王宮の各所に兵を配置しております」
「わかっているのですが……」
女王の表情は晴れない。
「宰相、魔道師の意見は?」
将軍が憮然とした口調で尋ねる。
私が目で合図すると、壁際に控えていた黒装束の男──宮廷魔道師が進み出て、女王と将軍に一礼する。
「申し上げます。三つの月が闇の月に食されることにより、星の運行に大きな乱れが生じております。なにが起きるのか、私にもまったく予想がつきませぬ」
「……わけがわからんな。役に立たないヤツだ」
将軍が吐き捨てる。魔道師は頭を下げただけで、それ以上は口にしなかった。
女王はますます不安を感じたようだ。怯えた眼差しで私を見つめる。
「大丈夫です。私が必ずや陛下をお守りいたします」
その言葉を聞いて、女王はうっとりと目を潤ませる。頬までピンク色に染まっていた。将軍が盛大に鼻を鳴らして、私をにらみつけた。
「宰相閣下。間もなくです!」
警護の兵士が窓辺から私に呼びかける。私は玉座のそばを離れ、窓に近寄った。空を見上げる。
黄色の月と赤の月は既に闇の月に呑まれていた。青の月がかろうじて円弧の端を残している。それも見ているうちにどんどん細くなり、やがて闇の月の背後に隠れてしまった。
三つの月が闇の月に呑まれる千年蝕が始まったのだ!
鋭い叫び声が私の鼓膜に突き刺さった。そらちを振り返ると、若い貴族が自分の隣に立っている男をわななく手で指さしている。その男の顔に私は見覚えがなかった。それだけではない。大広間のあちこちで驚きの声があがり、見慣れぬ人物に指を突きつけて大騒ぎになっている。
私は呆気に取られた。いまや大広間にいる貴族の半分が見たこともない人間になり変わっていた。
これはいったい、どういうことだ?
「魔法が解けたのだ!」
魔道師がやにわに叫んだ。
「おお、なんということだ! 永久魔法の効力まで失われるとは! 千年蝕がもたらす災厄というのはこのことか!」
永久魔法が解けるだと? まさか、そんなことが……。
女王が甲高い声をあげて玉座から立ち上がる。目を丸くして隣に立つ将軍を見つめている。
将軍は貧相な小男に変貌を遂げていた。身長はいつもより頭ひとつ分も低い。鎧のような筋肉はその痩せた身体のどこにもついていなかった。将軍は自分を見下ろして、呆然とする。
「将軍、あなたは……」
私はハッとして自分の口を両手で抑える。遅かった。私の声の変質に気づいた将軍がこちらへ顔を向け、目をむく。
「宰相、おまえは女だったのか!」
知られてしまった。私の最大の秘密が!
私の実家は跡継ぎの男が生まれず、七人姉妹の末娘である私はやむなく永久魔法を魔道師にかけてもらって男を装い、宮廷でのいまの地位を得たのだ。それが、まさかこんな形で露見するなんて……。
「宰相……」
女王が絶句する。それから、ポッと頬を赤らめた。
「女でもステキです」
「ご、ご勘弁を!」
ゾッとした私は背を向けて、その場から逃げ出す。
罵声と怒声が飛び交う大広間は一層混乱の度合いを深めていた。
三つの月を呑みこんだ闇の月は地上の騒動に関係なく、夜空をゆっくりと動いていた。