タイトル未定
【タイトル未定】 著:
プロローグ
「人生とは選択の連続だ」
誰の言葉なのかはわからない。けれど、実に真理を捉えたいい言葉だと思う。そして、真理の耳触りの良い部分だけを選び取った胸糞な言葉だとも思う。
確かに人生は選択の連続で構成されている。進路なんかはわかりやすい例だろう。どこの学校に行くのか、何を学ぶのか、どこに就職するのか。人生というものはそう言った様々な地点での選択によって作られている。けれど、それはあまりにも綺麗すぎる。
だから俺に言わせて貰えばこうだ。
‘人生とは失敗と後悔の連続だ’
こちらの方が正しいのではないかと俺は考えている。
人間は幾度となく選択を繰り返し、その度に「この選択よりも良い選択があったのではないか」「どうしてあの選択をしてしまったのか」と考えてしまう。それは人間が幸せを求める生き物である以上は必然的なものである。そして、選択を悔いている以上、それが何度となくある以上、人間の選択は必ず失敗に終わるものであり、後悔を伴うものである。
そう。人間という生き物は、過去を悔やみながら生きるものだ。
伝えられなかった恋の感情だとか、傷つけてしまった友人に謝ることができなかっただとか、学力が足りないからといって行きたい高校を諦めてしまったことだとか、その内容は人によって違えど、皆が何かしらの後悔を抱えている。
そして、それは自分も例外ではなかった。
あの時、3年前のあの夏の日。夜空に咲いた光の花の下で俺にばれないようにと静かに涙を流していたアイツの手を握ってあげる事ができたのなら、俺の隣で肩を震わせていたアイツの手を握ってあげられたなら、今はもっと違った日々を送ることになっていたのかもしれない。
もう何度となく考えていたことだ。
あの時、アイツの手を握って引き止めることのできなかった自分を今まで何度となく責めてきた。
今もはっきりと覚えている。
あの日の夏の暑さも、背を伝う粘っこい汗の感覚も、アイツがつけていた制汗剤の甘ったるい香りも、何一つ忘れることなく覚えている。いや、覚えているというより、俺は何一つとして忘れられずにいる。
そうした記憶の一つ一つにとらわれて、俺は今も、あの暑かった夏から一歩たりとも前に進めずにいる。
「ねぇ、りょう君」
頭の奥で彼女の声がする。
「私たち、また……」
今も褪せることなく、あの時と同じ質のままで、鼻の詰まったような少しくぐもった高い彼女の声が今も脳裏に染み付いて落ちてくれやしない。
あぁ。けれど、俺は後悔に苦しめられて何も忘れられずにいるくせに、一番忘れてはいけないものを忘れてしまっている。いや、忘れるも何も、そもそも知らなかったのかもしれない。
たった一夏のわずかな時間を過ごしただけで、俺の思い出にいつまでも居据わり続ける図々しいあの少女の名前。
それが、俺の記憶にはない。
隣で彼女は今日も涙を流す。夏場の明るい夜空をさらに明るく照らし上げる光の花。その灯に涙を隠しながら、彼女は今日も肩を震わせる。
なぁ。あの時、俺はどんな選択をするべきだった?何を望んで何を選べば、俺は今みたいに綺麗な記憶に苦しめられることなく生きることができたんだ?
その答えは誰も知らない。もし知り得る奴がいるのだとしたら、それは神様なんていう信用ならないものしかいないだろう。
苦しい。あぁ。苦しい。
苦しくて苦しくてたまらない。本当に、文字通り息が詰まりそうだ。
涙を流して肩を震わせる彼女の手を、今度こそ俺は
俺は−
第1幕:また、同じ夢を見ていた。
「行かないでくれ!」
そう言って右手を天井へと突き出しながら、俺は目を覚ました。少し前までのことが夢だとわかり、俺は浅くため息をついてしまう。
また、同じ夢を見ていた。
もう何度となく見てきた夢だ。ごくごくありふれた後悔の話。想いを告げられなかった初恋の記憶。叶うことのなかった、やり直すことのできない恋の話だ。
俺は行き場を失った右手で目元を覆い、忘れられない過去のことを思い返した。名前も知らない女の子との一夏の思い出、その情景の一つ一つを思い返した。
「けーちゃん」
俺は彼女のことをそう呼んでいた。というのも、彼女に会ったばかりの頃に彼女は身内にそう呼ばれていて、俺はそれを真似て彼女のことを呼んでいた。それだけだ。
俺は彼女の名前を知らない。
ニックネームとかではなく、彼女の本名というものを俺は知らない。そんな女の子に恋をしていたのだと考えると、我ながらバカバカしくて笑える。いや、もしかしたら今もまだ彼女に恋をしているのかもしれない。彼女との綺麗な記憶に恋心を抱いているのかもしれない。そして、その真偽を確かめる術すら俺はしらない。
俺が知っているのは彼女が周りの人間からけーちゃんと呼ばれていること。女の子らしく髪の毛を伸ばしていて、それと対照であるかのように同年代の女の子と比べて背が高いこと。聞いている側が恥ずかしさでむず痒くなるほどに言葉遣いが丁寧であること。物静かで、だけど感情豊かであること。ものすごく大人びていて、俺の知らないことをたくさん知っていること。そして、鼻が詰まったような少しくぐもった高い声をしていたということぐらいだ。
好きだったという感情を抱いていた割には、俺はアイツのことをその程度しか知らない。アイツの表面上の事実だけしか知らない。アイツが何を考えていて、何を望んでいたのか俺は知らない。
「高校3年にもなって何言ってんだよ」
自分以外は誰もいない部屋に、俺自身の重ったるい低い声が響いた。
俺も随分と変わってしまった。身長も伸びて、あの頃に比べて声も低くなった。けれど、俺の中のアイツは今も変わらない。
「今の俺を見たら、アイツは何ていうかな」
はははという乾いた声が口から溢れた。
今年もまた、この季節が来てしまった。忌々しくも愛おしい、ひどく汗ばむ季節が来てしまった。アイツに初めて会ったのも同じ季節、中学3年の時の夏。いつもと変わらず、扇風機だけで乗り切るには苦しいほどに暑い夏のことだった−
夏休みが始まってすぐの日曜日。野球部だった俺の夏は終わりを迎えた。中体連と呼ばれる大会の予選3回戦での敗退だった。
万年初戦敗退校と言われていた俺たちにしては頑張った結果だと思う。きっと、3回戦の相手が前年優勝校でなければもっとそれなりの順位まで上がれたのだろう。けれど、俺は充分に満足していた。
後悔がないのかと言われれば、別に後悔がないわけではない。ただ、辞めるにはいい機会だと思った。
俺と同じ三年生は皆、高校に入ってからも野球をやるといい、体が怠けないように夏休み期間中も自主的に部活に参加すると語っていた。けれど、部活だけでなく、野球自体を引退すると決断した俺はそんな面倒なことはしない。
こうして俺は、受験勉強ぐらいしかやることのない夏休みに突入した。
うちの地元が特殊なのか、夏休みの中学生にはラジオ体操当番というものすごく面倒くさい役割が課される。