小さな、暖かい灯り
七年ぶりの同窓会。
俺は勇んで出席した。
同窓会の通知を受け取った時、迷わず『御出席』に丸をつけていた。
「湊洋子? そう言えばそんな娘いたわね……見かけてないと思うけど……ところであなたは?」
七年前の俺は自分が何者なのか、何がしたいのか、皆目見当がつかずにいた。
随分ととっつきにくい、暗い奴だと思われていたかも知れない。
いや、そう思われていたことは間違いなさそうだ。
まだ何者と言える程ではないが、やりたい事を見つけた今はだいぶ印象が変わっているらしい、なにしろ話しかけた誰もが俺が誰だかわからず、名乗ると目を丸くするのだ。
高校時代、手当たり次第に本を読んだ。
自分が何者なのか、何がしたいのか、その答を闇雲に探していたのだ。
そこそこの進学高だったから、高三ともなるとみな目標を定めて受験勉強に突入して行った。
だが、それは『どこの大学に行きたいか』と言うだけで、『何になりたいのか』を見定めているとは思えなかった、ただ国語が得意だから、英語が得意だから、数学が得意だから、と言うような理由で志望校と学部を決めているだけのように思えた。
当然受験勉強なんかする気になれない、専門学校に行く気にもなれなかった、なにしろ何をしたいかもわかっていなかったのだから。
「湊洋子? うん、憶えてるぜ、目立たない娘だったよなぁ……え? お前中島なの? 一瞬わからなかった」
かなり生徒数の多い学校だったが、学年で就職したのは数えるほど、俺はその一人だった。
仕事は土木作業員、ただ単にブラブラしているわけにも行かないが、仕事に就けばその色に染まってしまうような気がして、あえて肉体労働を選んだのだ。
しかし、そうやって毎日体を酷使しているうちに自分が何をやりたいのかだんだんわかって来た、無心に体を使うことで闇雲に徘徊していた脳が立ち止まって深呼吸したらしい。
「湊洋子? ああ、よく図書室に篭ってたな、小さい娘だったよな」
そう、洋子と話すようになったのは図書室だった、ある哲学書を書架から取り出そうとした時、後ろで小さく『あっ』と声がした、振り向くと小柄で地味な眼鏡っ娘が立っていた、それが洋子だった。
俺はその本を洋子に譲り、返却された後、改めて借り出して読んだ、同じ思想を共有しているんだと感じた時、洋子の細く華奢な指がページをめくるのが見えた気がした。
「湊洋子? ああ、憶えてるよ、まだ見かけてないなぁ、見かけたら教えてくれよ、小さくて地味な娘だったけど、ここへ来て懐かしい顔を沢山見たらなんだか思い出しちゃってさ」
俺は仕事の傍ら小説を書き始め、思っていることを文章にすることに慣れた頃、高校時代の心の徘徊を主人公に託した小説を書き、とある文芸誌の新人賞に応募した。
思いがけずにその作品で優秀賞を受け、小説家としてデビューすることができた。
「湊洋子? うん、憶えてるよ、あんまり付き合いが良い娘じゃなかったけど、あたしも本好きだったからよく話してた、見かけたら教えてあげるね」
受賞作がその文芸誌に載ると、真っ先に手紙をくれたのが洋子だった。
同じ本に手を伸ばしたのをきっかけに洋子とは図書室でちょくちょく話すようになっていたが、当時の俺はまだ闇の中を徘徊するばかりでそれ以上の関係に発展することはなかった。
だが、洋子はそんな俺を憶えていてくれた、高校を卒業して五年が経っていたにもかかわらずだ。
文芸誌からは次の作品を書くように言われていたが、受賞作が私小説的なものだったので『次』はなかなか書けなかった、仕方なく同じテーマでもう一本書き、編集部はそれも掲載してくれたものの、『次はもう少し違うものを』と言われた。
「湊洋子? うん、割と仲良くしてたよ、いっぱい本を読んでたからいろんな事知ってたし、いろんな角度から物事を見れる娘だったよね、洋子と話してると気づかされる事いっぱいあったなぁ」
二本目が掲載されると、洋子はまた手紙をくれた。
デビュー作は手放しで褒めてくれたが、二本目は少しトーンが落ちていた。
そしてその手紙から彼女も自分が本当にやりたい事を探して大学を中退し、アルバイトを転々としたこと、今は書店で働いている事を知った。
俺は彼女をモデルにした小説を書きたいと思った。
彼女と逢ってまた話がしたかった、だが、二通の手紙には住所も連絡先も書かれていなかった。
「湊洋子? うん、よく憶えてる、あたし、高校時代に悩んでる事があって、彼女と話したらふっと気が軽くなった事があったんだ、だからあたしも今探してるの、来てないのかなぁ……」
彼女の了解を得る事ができないまま、俺は彼女をモデルにした作品を書いた。
その作品でどうやら俺は階段をひとつ上る事ができたような気がした、それが編集部に認められ、デビュー作とその続編をまとめたものと彼女をモデルにした作品の二本が出版されることになった。
そして出版されるとすぐに手紙が来た。
彼女をモデルにしたことは読んでわかっただろうと思うのだが、その事には触れずにただ激励してくれる内容だった。
そして、手紙にはまたしても連絡先は書かれていなかった。
彼女をモデルに書いたはずだったが、この同窓会にやってきて、俺が思っていた以上に彼女は人の心を暖めていたのだと知った。
控え目で目立たなかった彼女、だが、彼女の目は常に周囲に注がれ、気遣っていた、そして押し付けがましさのない言葉を探して、小さな、しかし暖かい灯りを点していたのだ。
「洋子? うん、親しくしてた、ずいぶんと悩みを聞いてもらったよ、彼女って自分も人一倍悩むくせに人の悩みを抛っておけない性格だったのよね……え? あの中島宏明ってやっぱりあなたなの? 本、読んだよ、名前に見覚えあったし、あの本読んでたら洋子のことみたいだなって思ったけど……あたしも探してるの、見つけたら教えてあげるね」
高校卒業から七年ぶりで初めて開かれた同窓会、出席者は多く会場はごった返している、そんな中、俺は彼女を見つけられずに立ち尽くしていた。
まるで大海原に一人残されたような気持ちだった。
俺が探しているのはたった一つの灯り、その灯りは人の心を暖めるが眩しい光は放たない……。
「中島……君?」
背後から掛けられた小さな声……あの日、図書室で聞いた声、そしてずっと聴きたくてたまらなかった声だ……
俺は雷に打たれたようにしばし立ち尽くし、そしてゆっくりと振り返った……。
(終)