煙草の匂いが……
「やれやれ、上手く行ったようだね」
大家は温子が引っ越してガランとなった部屋でほくそ笑んだ。
やったことと言えば簡単なこと。
温子がいない間に合鍵を使って部屋に上がりこんで煙草を吸っただけ。
男出入りが激しいようだったので、それだけで誰か昔の男にでもストーカーされていると思い込んでくれたようだ。
最初に煙草の匂いを残した日から、温子はほとんど帰って来なかった、どうせ男の部屋を泊まり歩いていたのだろう。
それでも何度かは様子を見に戻ってきたが、毎日一本の煙草、それで十分だった。
そして昨日、あのアバズレはどこかへ越して行った……。
大家はほくそ笑んで煙草に火をつけた……と、煙草の匂いに混じって妙な匂いがする。
辺りを見回すと、それは押入の方から漂って来ているようだ。
(まったく……押入の中は片付けて行かなかったのかねぇ、だらしのない……)
大家は押入の襖を勢い良く開けた……。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
なんと、がらんとした押入の中段に温子が横たわっていた、真っ青な顔をして目を大きく見開いている。
そして頭には斧が深々とめり込んでいて、血の気のない顔にはべっとりと血糊が……。
頭の中に温子が男に無残に殺されるシーンが浮かび、気が遠くなって行った。
「う……ううん……」
大家が泡を吹いてひっくり返ったのを見届けて、温子は押入から這い出した。
「あらあら、ハロウィンの仮装にこれだけびっくりする人も珍しいわね……もっとも、あんたたちの時代にはハロウィンなんてイベントはなかったでしょうけどね。 これでおあいこ、じゃあね、もうあんたの顔を見ることもないわね、バイバイ、クソババァ」
温子はせせら笑い、香水の瓶を閉めてポケットに入れると部屋を後にした。
だが、その時、温子はまだ想像もしていなかったのだ。
その後、心臓麻痺で命を落とした大家の亡霊に悩ませられることになろうとは……。
(終)