女優の狂乱
男子生徒は、普段は全く笑顔を見せない同級生の笑みに、からかう様に声を発した。
「なんだ、ちゃんと笑えんじゃん」
言われた女子生徒は、笑顔止めて顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「す、すみません! 私の笑顔なんて見るに堪えないですよね」
「なんでそんなにネガティブなんだよ。別に俺は……可愛いと、思う。もっと見せろよ」
男子生徒の手は、彼女の小さな顎を掬い、さくらんぼのような唇にゆっくりと近づいていった。
──はいカーット!!
緊張した現場の空気が、一瞬で霧散する。監督も今回の見せ場になるカットの出来に、満悦の笑みを浮かべる。
一段落した現場は次の撮影シーンに入ることになり、主役の男女二人は一旦休憩になった。
茶菓子をつまみながら、女優は俳優に話しかけた。
「さっきの演技すごく良かったわ、ちょっと本気でときめきそうだった」
「本当ですか! ○山さんにそう言って貰えるなんて嬉しいです。実はあの時、半ば本気でコウセイ君になりきってて、まんまり覚えてないんですよね」
「そうなの? 凄いわね。実は今回私、ユミコのキャラクターが掴みきれてなくて……。キスシーンまでしておいて、何を今更って、感じだけどね」
「え、そうなんですか!? 全然分からなかったです」
「おいおい相手役」
女優はからかう様に述べたが、内心焦っていた。十代の半ばから演技をして生きていた彼女は、若いながらも業界では中堅の立ち位置にいた。しかし、高い身長と派手な顔立ちが相まっていつも頼れる先輩のような役や、主人公をいじめる女豹のような役ばかりしてきた。
今回、内気な少女を演じることは自分の演技を磨くことには確実に繋がるだろう。けれど、全く自分と似た要素が無く、自己投影出来ずに困っていた。
「私、演技する役は自分に似てるところを探して、そこから入っていくタイプなのよ」
「けど、ユミコとの共通点が見つからない、と」
「そう、なんか雰囲気だけでもいいからユミコと私の共通点何かない?」
女優は半分ダメ元、半分期待して目の前の歳若い俳優に聞いた。目の前の彼は、俗に言う天才というやつだ。ここ二年で急に出てきて、既に三本ものドラマの主役を攫っている。
「ありますよ、それは多分、笑顔です!」
特に考えたような間もなくすぐに返ってきた返答に女優は少し驚いた。
「え……と、笑顔? 私ユミコとは違って普通に笑ってると思うけど……。え、まさか笑えてない!?」
女優は軽くショックを覚えた。彼女は化粧品広告のモデルにもなっており、少なからず自分の笑顔には自信があった。
「いやいやちゃんと笑えてます! けど、本当の笑顔では全然笑えないでしょう? そういうとこ、ユミコと似てると思います」
確かに、業界では愛想笑いと、作った綺麗な笑みばかりしている気がする。指摘されて、納得すると共に、目の前の俳優に怒りを覚えてしまった。そんなに直接的に言わなくても。けれど、あれば教えて欲しいと請うたのは自分だったことを思い出して、
「確かに、そうかもしれないわね」と作った綺麗な笑みを浮かべた。
「あ、すみません! 怒りました?」
「……別に、怒ってないわよ」
「○山さんの笑顔は作られたものでも、すごく素敵です。けど、本当の笑顔を見てみたいなー、なんて」
いつの間にか、彼の体が自然と近づいていた。
まるで、さっきのワンシーンのように。
顎が掬われ、顔が近づいて……って、え。
あまりに急なことに、女優は目が閉じられなかった。
見開いた視界ではスローモーションのように彼の唇が迫ってきていた。
「『なんだ、ちゃんと笑えんじゃん』って言わせてください」
キスはされず、寸止めでそんな事を言われた。女優はからかわれた事に気がつく。
「せ、先輩をからかわない!」
女優はすぐさま彼を押し退け、男はへらへらと笑って「すみません」と謝ったが反省の様子は見えなかった。
その後女優は居た堪れなくなって、化粧室へと逃げ込む。
男に近づかれたとき速くなった胸の鼓動は、今もまだ落ち着きそうにない。寧ろ、一人になってさっきのワンシーンを思い出し、もっと顔が熱くなってきていた。
そして、女優の中の冷静な部分が言う。「ユミコとの共通点出来たかもしれない。彼を好きになるっていう」
近づかれただけでそんな結論を出した単純な自分に、女優はかき消すよう「うわー!」と声を出した。