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女言葉は生きているか

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「私が隠していたのが悪いんだわ。不愉快な目に遭ったので怒っていらっしゃるん  でしょう。父のことも隠していてごめんなさい。でも、何となく言いにくかった  のですもの」
 (長井彬「原子炉の蟹」)
 ある女性が相思相愛の男に、しかし節度を保って「女性の敬語」を使いながら心情を吐露している。男を立てながら、心の内を訴えるいじらしさ。これを読んだのは1981年ごろだが、現実を見渡すと、周りの女性たちはもうすでにこのような言葉遣いはしていなかった。まして今のギャルたちはまずこんな言葉は使わないだろう。
 今の女性が一般にどんな言葉遣いをしているか知りたくなり、街角や電車の中で女子高生同士や夫婦、カップルの会話に耳を傾けてみたが、いかにも女性らしい言葉遣いは聞こえてこない。かと言って、男性っぽいしゃべりでもない。街では雑音も混じるため、口頭言語でははっきりわからなかった。
 現代の女性をある程度映していると思われる小説の中ではどうだろうか。それも女の世界を知っている女流作家の作品がいいと思って、いくつか漁ってみた。
  「ゲームの何が厭かって、誰かが作った偽物の世界で、・・・敵を倒して、虚し   くないの? 何も生まれないってことよ。もとから想定されているシナリオだ   もの」
  (朝比奈あすか「手のひらの海」)
 これは主人公の息子が引きこもりになり、その対処を夫と相談している時の会話だ。息子は中学生だというから、この主人公は30代半ばから40代初めぐらいの主婦であろう。夫に嚙みついているのだが、女性らしさを忘れてはいない。この主婦は夫と話す時には女性を意識してしゃべっているが、息子に対する時にはやや中性的な言葉遣いになる。女性が女性的になるには男性という鏡の存在が必要になるのだ。
 以下の例はもう少し若い20代の女性同士の会話だが、このうちの一人は同棲相手には女っぽい言葉を使うが、気の措けない従妹との会話では、ややぞんざいな物言いになる。
  「あんた、相変わらずね」
  「だっておいしそうでさ。がまんできないんだもん」
  「ソースとかドレッシング、こっちに飛ばさないでよね」
  「わかってるよー。うわ、このパスタすごくおいしい」
  (水無月うらら「きみから見える世界」)
 「相変わらずね」「飛ばさないでよね」などの言い回しがかろうじて女性らしい柔らかさを出しているが、あとは男とも女ともつかない言い方になっている。
 恋人にであろうと我が子にであろうと、同性同士であろうと、登場する女性が女言葉で押しまくるのは、むしろ翻訳された外国小説の作中である。
  「いいこと・・・。あたしは・・・14の慈善団体に加入しているの。そのうち   3つは理事をしているわ。・・・ここで会議を開かないように手を回すわよ」
  (ダイアン・デヴィッドソン「クッキングママの最後の晩餐」)
 これは主人公が他の女性をちょっと威嚇するセリフなのだが、女言葉でやるとソフトになり、非情さが薄まっている。この作品では他にも「彼女はお金持ちだもの」とか「マーラったら」とか「禿げた男を摘み出してちょうだい」などという、今の日本ではあまりお目にかかれないコテコテの女性の言い方が横溢している。いずれも教養があり中産階級以上でたしなみを備えた女性のムードを出したい時に、このような言い回しをさせているようだ。
 言語学者の中村桃子氏によると、明治初期の作家たちは西洋小説の中の娘たちの会話を、当時の女子学生の「てよだわ言葉」に翻訳することで、日本人の理解を超えた西洋近代を象徴する「ハイカラ娘」を創作した。その結果、西洋娘が作中で使う「てよだわ言葉」は「西洋・近代」のイメージと結びつくことになる。この系譜が現代までも引き続いているわけだ。翻訳する側も読む側も、西洋女性のエレガンスへの憧れが底流にあって、それがこのような言葉遣いを続けさせているのだと思う。
 外国映画の吹き替えや字幕も同様だ。皮肉なことに、私はこんなセリフを見たり聞いたりすると、「ああ、西洋の女性がしゃべっているんだなあ」とエキゾチズムを感じてしまう。今や日本の女性言葉を担ってくれているのは外国人の彼女たちなのだ。
 女性らしい言葉遣いが聞こえてこないのは、ファッションや女性の社会進出ぶりに見られる性差のないユニセックス現象が言葉にも影響したためだと思っていたのだが、実は話が違うようだ。中村氏によると、女言葉というものは、男性側が時代に応じてさまざまな意味付けをして、文法書や教科書や評論などによって教え続けた結果、残ってきたものだと言う。実は女性が自然に使い続けてきたものではない。そして、純粋に女言葉を使う女性なんて、昔からいないとのことだ。
 なるほど、女言葉とは幻想としてのものなんだ。そうとはわかった上で言うが、私の家族や周囲を見渡すと、自分の育った時代には、女性たちはもう少し女性的な言い回しを使っていたと覚えている。そして私はそれに慣れ親しんできたし、またそれらに魅力も感じる。そのように刷り込まれた結果かもしれないが。
 かつて金田一春彦氏が「女言葉には廃れてほしくない魅力がある」という意味のことを言っていた。そのとおり。柔らかく包んでくれるその言葉遣いには男性の心をホッとさせるものがある。たとえ外国小説の中の幻想の女性語でもいいから、こうした言葉遣いには生き残ってほしい。
作品名:女言葉は生きているか 作家名:ashiba