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のしろ雅子
のしろ雅子
novelistID. 65457
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1話  あとは野となれ山となれ  ー 或る友人だった女性の話

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1話 或る友人だった女性の話

 有吉佐和子の「悪女について」
何度かテレビ化も舞台化もされているが、人間てこんな風に人生を作って生きていけるものか自分達の中でけっこう話題になった。

重ね合わせるように一人の友人が浮かんでくる。
 と或る処で出会ったE子。
学校は違ったが、同じ学生という事で仲良くなった。あまり、見た事の無いタイプだ った。150センチに満たないころっとした体系で、美人では無いと言うよりも、稀に見る醜女で、陰ではあまり名誉ではないあだ名で呼ばれていた。
 しかし、知ってか知らずか、毅然とし臆する事は何も無かったように思えた…ギロッと睨む細い目は人の口を閉じさせるに充分な迫力があった
 E子の場合“醜女”と言うところにかなりのインパクトがあり、射抜くよう に低い声で話す彼女は侵しがたい凄味があり容姿の醜悪など超えたと言うよりだからこそ…存在感があった。
 ゴーリキや哲学書などの本を抱え持って、喫茶店の隅で何かを何時も読んでいた。
 それがポーズだったか本物だったかは後で考えさせられる事になる。
 知り合ってみると、かなり皮肉屋のE子の話は結構、的を得ていて可笑しかった。思想、宗教など何時も難しそうな本を抱えていたE子を同じ学生でも自分の学校の友人たちとはまるで違う、異人種を見るような、ある意味ちょっと、憧憬の眼差しで見るような…非常に興味深かった。
 E子は東京郊外で生まれ育ち、家は貧しく大学にいける環境ではなかったが、アルバイトでお金を溜めて浪人をして大学の夜間部に入ったと私に話していた。

 深夜、ママ一人の小料理屋さんの洗い場の手伝いをして学費、生活費へと当てて いた。昼は掃除の派遣会社に所属し、大使館やビルの掃除や、草むしりのアルバイトに行ったりしてた。生活はかなり困窮をしていたと思う。
 それなのに、青山に住んでいた。これが彼女を語らせる大きなキーワードとなる。確かに場所は青山だが部屋はかなり変わっていた。出入りは窓しかない。庭を回りこんで窓から入る。部屋は3畳に満たないような変形で、奥に唐紙の襖があり、開けると廊下の先にトイレがあった。その先は大家の私宅になるので勿論、 其処まで静かに歩いて用を足し静かに帰ってくる。そお言う事である。
要するにこの家の奥の物置部屋、そんな感じだった。
 彼女はその手洗いの水を電気ポットに入れてお湯を沸かしてお茶を飲んでいた。
 ちょっと郊外に行けばもうちょっとましな部屋が借りれたと思うが、あくまでも青山という地名に拘っていた。
 日常まるで接点の無いE子とそう頻繁に会うことは無かったが、久しぶりに会ったりして「まだ、あのお料理屋さんで働いてるの?」と、 聞いたりすると、シッ!と指を口に立て「働いてる話を絶対しないで!」それはお願いの態度では なくて威圧的に嫌な態度をし、「大学の二部ってさあ…」と話題にすると、1部(昼間)も2部(夜間)も一緒なのだから言わないでと怒った。
 あんなに正々堂々としてた彼女の卑屈さをちょっと垣間見た"あ…そんな事気にするんだ"もっと超越した人かと思っていたのに意外だった…何か彼女の弱さを見たような感じがした。
 そしてただのアルバイトだったお料理屋のママを「伯母様なの、遠い親戚…」と人に話してるのを聞いた。何時の間にか私に話をする時も"遠い親戚の伯母様"になっていた。「遠い」と言うとこに彼女の後ろめたさが有ったのかも知れない。
そんな小賢しさは彼女らしくなく、ちょっと気になったりはしたが、その後も付かず離れずの友人である事に変わりは無かった。

 30歳を超えた頃彼女は結婚をした。玉の輿結婚であった。
 どんな事情かは…ちょっと差し控えるが、かなりあざとい結婚であった事に間違いはない。人の噂にも大分上ったすったもんだの結婚であった。
 やがて、人格も装いも身のこなしも別人のように彼女は変貌していく。
彼女がこんなにセレブ嗜好の強い人だったのかと唖然とすることが多かった。
 喫茶店の片隅でゴーリキを読んでいたあの姿はいったい何んだったんだろう?

 会うとE子は良く懐かしげに思い出話をした。
「ほら、青山に住んでた頃…」確かに住んでた…。
「大使館でアルバイトをしてた時…」確かに何回か掃除で行った事を聞いた…。
 しかし、E子の記憶違いか私の記憶違いか思い出内容はかなり違うものだった。
 青山の部屋は親戚の家への下宿先に変わり、大使館のアルバイトは英語の お勉強に変わっていた。
「えーそうだった?」と言う私に「そうよ」と、平然と言ってのけた。
 言うなて駄目押しを したのかも知れない。なーる程、そお言う事!あながち嘘ではない訳で…
青山に住み大使館でアルバイト…
マネーロンダリングだ!E子は過去を洗浄したんだ!結婚をすると共にE子の過去が華麗に変わった。
まだ若かった私はE子の虚栄に付き合うつもりもなかったし、プロレタリアートの戦士のようだった彼女に興味があったわけで、彼女の野心を軽蔑し、最も俗人であった事に落胆して会う事も無くなった

 しかし、今思えば見解はちょっと違う…
それは、決して恵まれた環境に無かったE子が、傷らけになって手に入れた、勝ち取った人生だったのかも知れない…と、思うようになった。
 彼女の生まれ育った家の近辺の高台からは都心の高層ビル群の空を照らす灯りが映えて夜になるとその灯りが見たくて高台に上ったと言ってた。
 彼女のプロレタリア思想はブルジョアに羨望する裏返しで、本当は心底貧乏を嫌っていたんだと思う。
きっと、 或る意味…自分の人生を作り上げた名プロディューサーだったのかも知れない。
人に媚びることなくあの鋭いまなざしで攻撃的に人生を手に入れた、
彼女は見事だったんじゃないか…そんな風にも思えてくる。

「成り上がり者です」って有名美容家T女史が元某国大統領夫人の"D夫人"に挨拶をしたら
「成功者とおっしゃい」と言われたそうだ 印象的な話だ。