Peeping Tom
4.強大な敵
それはあまりにも突然すぎる出来事でした。
休日の真っ昼間という時間帯にもかかわらず、ケンタは不健康な自涜に耽っています。私は再生処理を行い、ケンタのあられもない痴態を眺めながら、もう少し他にすることあるだろうという思いと、でも若さってこういうもんだよなという二つの思いを心の中で蟠らせていました。すると突然、その無防備な背後で勢いよく部屋の扉が開かれたのです。
扉を開いたのは、四十路、いや五十路に手が届くかと思われるくらいの女性でした。少々小太りで、ややケンタに顔つきが似ているところを見ると、ケンタの母ではないかと思われます。
「ほらっ! たまには自分の部屋くらい自分で掃除しなさい! 休みなんだから!」
母親は、開口一番ケンタにそう言い放ち、持ってきた掃除機を軽々と担ぎ上げ、部屋に入ろうとしてきます。
「ちょ、入ってくんなババァ! あと入る時はノックぐらいしろよ!」
ケンタはかなり上ずった声で、それでもなんとかこれだけは言ってのけました。ですが、これだけのことを母に伝えるのも彼にとってはかなりの苦行だったに違いありません。なぜなら、ケンタはオナニーの最中、母親に扉を開けられたのです。しかも、かなり間の悪いことに、ケンタはもう少しで絶頂を迎える寸前でした。その「瞬間」に、一番頭に過ぎりたくない異性とは誰でしょうか。最も近いであろう近親、遺伝子レベルで性欲を持ち込んではならない対象、間違いなく母親ではないでしょうか。その母親と面と向き合ってこれだけの事を言い放ったのです。その困難さは我々の想像を遙かに絶するものだったに違いありません。おそらく、人生でも数回あるかというくらいの悲壮な覚悟だったのでしょう。
失礼を承知で言えば、私は普段、ケンタを暇さえあればオナニーばかりしているアホの子だと思っているのですが、この時ばかりは彼に同情を禁じ得ませんでした。もっとも、部屋の鍵をかけず無防備に自慰をおっぱじめる点、やはり自業自得と言わざるを得ませんが。
何はともあれ、ケンタはそのビンビンに勃起している「自身」を少しでも母親の目に入らぬようにして、一刻も早く部屋から出ていけという旨の言葉をぶっきらぼうに伝えます。しかし、なんといっても相手は母親です。生涯頭があがらない相手といっても過言ではありません。彼女はお構いなくずんずん入り込み、部屋の中央にでんと掃除機を鎮座ましませ、掃除を始めるようくどくどケンタに言い聞かせ始めます。
ここから、ケンタと母親との間でしばし口論になりました。この口論自体はものの数分でけりがついたのですが、その間、私としては非常に困った事態が起きていました。ケンタは、母親の急な来襲で相当動揺していたのでしょう。私への停止指示を怠っていたのです。
男子高校生が口論中、エロ動画をBGMにして、果たして有利に論理を展開できるでしょうか? ただでさえ自身の陰茎をこれでもかと屹立させている恥ずかしい状況。しかも相手は母親という最強クラスの生物なのです。
困った事態と言うのはそれだけではありません。先ほどのケンタの悲壮な覚悟を目の当たりにしている私は、この時どちらかと言えばケンタの方を応援したい気持ちに心が傾いていました。普段の私であれば、ぐうたらなケンタに部屋の掃除ぐらいしろとお説教の一つもしたくなるのは、全く持って正しいことだと思うでしょう。しかし、彼の不退転の決意を知ってしまった私は、そう思いませんでした。仮に掃除をさせるのが正しい事だとしても、それを言うのは彼の「お楽しみ」の時間でなくても良いはずだと思うのです。言い換えれば、TPOをわきまえるべきだと。いや、TPOをわきまえず教室で先生と生徒がセックスしているエロ動画がこういうことをのたまうのもどうかとは思いますが。
ですが、そんなケンタを応援したい、少しでも有利な状況にしてあげたいという気持ちの私は今、自身の動画の喘ぎ声を大音量でこの場に響かせる事しか出来ないのです! 否応なく突きつけられる自分の無力さ、無念さ、恥ずかしさ……。こんな無慈悲な瞬間がかつてこの世にあったでしょうか。
案の定、ケンタは母にコテンパンに言い負かされました。しかし、劣勢に立たされながらも、とにかく今すぐ部屋を出て行けと言い募るケンタのそのいじらしい姿は、見るものの涙を誘うものがありました。去り際、母親は「全く、そういう勉強だけはいっつもしてるんだから!」という致命の一撃をケンタに浴びせかけ、部屋の扉を閉めたのでした。
「完敗」。私の頭にはその二文字が浮かんでいました。奇襲に始まり、動揺を突かれ、とどめの一撃も抜かりない。母親という生物の恐ろしさをいやというほど見せつけられた瞬間でした。
しかし、ケンタもただただ無残に敗北したわけではありませんでした。次の瞬間私は、彼もまたあの母の血を引いた男なんだな、と実感させられるような行動を目の当たりにしたのです。
再生停止の指示がなかったので、母親が去った後も私はまだ再生を続けていました。ケンタは一息吐いて落ち着きを取り戻した後、改めて部屋の扉に鍵をかけ、今度こそ誰も入って来れない状況を作り上げてから、再生されっぱなしの私で再び自慰行為に勤しみ始めたのです。
私は驚きを隠しきれませんでした。あそこまで無様なKO負けを喫しておきながら、まだ「起ちあがれる」その気力、気迫。もしかしたら、この男は大物になるんじゃないだろうか、そんな気持ちすら胸に抱きながら、ケンタが絶頂を迎え、精液を勢いよく放出するのを見届けたのでした。
この一件以降、さすがにものぐさなケンタも自らを慰めるときは部屋に鍵をかけるようになり、動画を視聴する時は必ずヘッドホンをして音を漏らさないようになったのでした。
作品名:Peeping Tom 作家名:六色塔