完落ち
「いい加減しゃべったらどうだ?」
容疑者の目をのぞき込んで、老刑事が息をついた。
「目撃者もいるし、現場近くの防犯カメラにもちゃんと君らしき人物が映っている。このまま黙秘をつづけても、裁判で心証を悪くするだけだぞ。シンショウ必罰といってだな……」
そこで彼は、ガハハッと笑いながら自分のひざをバンバン叩いた。
しかしデスクをはさんで向かいあっている容疑者の若者は、先ほどからむっつりと黙り込んでいる。
コホンと咳ばらいして、老刑事がつづけた。
「たぶん知らんだろうから一応忠告しておくが、強盗致傷の最高刑は無期懲役だ。もし裁判で無期の判決など言い渡されてみろ、おどろいて呼吸が止まるかもしれんぞ。これがホントのムキ呼吸」
ふたたび老刑事は、腹をかかえて笑いころげた。
そんな取調べの様子を隣にあるモニタールームから眺め、オレはあきれたようにつぶやいた。
「ずいぶんと緊迫感に欠ける取り調べですね。供述調書を取る仕事ってのは、かなりの頭脳労働だと聞いていたのですが……」
すると横にいた先輩刑事がたしなめるように言った。
「新米のくせに生意気なこと言ってんじゃない。源三さんはな、この道40年のベテラン刑事なんだぞ。これまでにも政治犯から暴力団員と、何人もの犯罪者を自供に追い込んでいるんだ。落としの源さんといえば、今や県警のあいだじゃ知らない者はないくらいだぞ」
「はあ……」
取調べ室では相変わらず、老刑事の独壇場がつづいている。
「君はあのパチンコ店の元従業員だそうだね。ならば警備会社が売上金の回収に来るまで、その金がどこに保管されているのか、当然知っていたよね松金よね子」
なにがそんなに可笑しいのか、また涙を流して大笑いする。容疑者はとうとう俯いてしまった。老刑事はそれでもかまわず一人でしゃべりつづける。
「金に困っていたんだろう? 君が投資詐欺に引っかかって借金していたことは、ちゃんと調べてアルゼンチン」
同席していた別の取調べ官が、筆記の手を止めプッと吹き出した。そのほうを盗み見て、老刑事もククッと笑をかみ殺す。
「犯行に使用されたフォールディングナイフは、登山家などが好んで使う特殊なものだという。そして君は学生時代、なんとワンダーフォーゲル部に所属していたそうジャマイカ」
老刑事ともう一人がそっと顔を見合わせる。一瞬の間をおいて、二人同時に「ひィだめだっ」と腹を抱えて笑いだした。今まで大人しく話を聞いていた容疑者が、しだいに拳を握りしめブルブルと震えはじめる。
「ほうら見てみろよ」
そんな様子をモニタールームから見ていた先輩刑事が、嬉しそうに言った。
「あいつ、そろそろ落ちるぞ」
「えっ?」
オレは驚いて尋ねた。
「あまりにもダジャレが下らなさすぎて、頭にきてるだけじゃないですか。ホラ、怒りのために顔が引きつってますよ。あの様子じゃ、とても自供に応じるとは思えないんですけど」
「ばァか、それが源さんのやり口なんだよ。ああやってつまらんダジャレを延々繰りかえされれば、どんな強情なやつだって嫌気がさしてくる。苦痛に耐えかねて、気づいたら全部ゲロしちまってるってわけさ」
オレは今度こそびっくりして先輩刑事の顔をまじまじと見た。
「そ、それって一種の拷問じゃないですか……」
「まあそう固いこと言うな。俺たち警察の仕事はな、きれいごとだけじゃ務まらんのだ」
そう言ってオレの肩に手を置くと、厳しい口調で言った。
「お前もはやくダジャレをマスターして活躍できるようにならなきゃいかん。ゴーモン括約筋といってだな……」
そこで彼はプっと吹き出し、身をよじって自分のひざをバンバン叩いた。
オレは刑事を辞めようと思った。