技術者思考と汎心論の矛盾
自分自身にとってモノの擬人化は嫌悪感を生じさせる行為である。ましてや、工業製品のそれは反吐が出るほど受け入れられない。
それには理由がある、それは技術者思考と汎心論の矛盾があるためだと考えるからである。では、技術者思考とは何なのか。また、汎心論とは何なのか。それらについて説明する。
技術者思考とは一言で言えば、どのようなモノを作ればヒトの役に立てるのかを考える事である。この考え方をするためには、ヒトが何であるかを定義しなければならない。自然科学においてヒトは霊長類ヒト科ヒト属の動物と定義される。また、社会科学においては、ヒトは自然人と呼ばれ、それには基本的人権が存在すると定義されている。このように、技術者思考を行うためには様々な物事を定義しなければならない。
それに対し、汎心論の場合は、万物に魂が宿る。言い換えれば、全ての物体が意識を持つという事である。つまり、自分自身の感覚器官で認識できる物体には全て意識があるので、モノを定義する必要が無いのである。
技術者思考と汎心論の違いが分かった所で、擬人化による矛盾が生じる過程を考えてみよう。始めに、モノはヒトの手によって作られる。モノをヒトに変換する擬人化を行う。するとヒトとモノについて定義する事が困難になる。仮に、それをモノとして定義した場合、奴隷として、人体実験の被験体として取り扱う事が出来るがそれは倫理的に許されない事だと思う。逆に、ヒトとして定義した場合、彼らが彼らのやるべき仕事を嫌だといった時に転職を無理やり差し止めれば、それは人権を侵害したことになる。
これらの事から、自分自身が言いたいことは、モノをヒトに変換する擬人化は倫理的に良くないことだということである。また、自分自身の偏見ではあるかもしれないが、擬人化はそれを行うヒトの醜いエゴイズムによって引き起こされているように感じられる。更に言わせてもらえば、このような醜いエゴイズムを正々堂々と誇らしげに言えるヒトに羞恥心があるのかと、自分自身は正直疑ってしまう。擬人化と言う文化は日本が誇るべき文化ではなく、むしろ恥じるべき文化にもなると自分は強く思う。
作品名:技術者思考と汎心論の矛盾 作家名:Conrad 島太郎