ショートショート集 『一粒のショコラ』
ー32ー 羨望 欲望 後悔
私は、人を羨む達人かもしれない――
今朝も、早速羨ましいという思いに出合った。それは、テレビの中で紹介されていたバスツアーを見ていた時のことだ。
食べ放題ツアーに多くの人が参加し、楽しんでいる光景が映し出されている。もちろん、宣伝の意味もあるから、良いところばかりが放送されているのだろう。これでもかと美味しそうな料理が並び、満足そうなツアー客たちの笑顔がこぼれていた。
私がそれを見て羨ましいと感じたのは、その人たちが旬の味を満喫しているからではない。それなら自分も参加すれば済む話だ。そうではない。それを楽しいと思える彼らが羨ましいのだ。
参加者の多くは年配者で、白髪頭が多く見られた。だが、彼らは生き生きと人生を楽しんでいる。おそらく、すでに仕事をリタイアした人たちだろう。
歳を重ね、さらに生を楽しむ、なんと羨ましいことだろう。
私は、貪欲極まりない人間かもしれない――
夫のおかげで、毎日、何不自由のない暮らしをしている。子どもたちも順調に育ち、自由な時間とほどほどのこづかいも使える。
そして、今日は友人たちとのランチ会。今回は、ちょっとゴージャスなホテルのレストラン。普段とは違う華やいだ宝飾品を身につけ、私は家を出た。
でも、楽しい時間を過ごしたはずが、家に帰れば、もう、その幸福感は過去のものになっていた。
何事もそうなのだ。誕生日を祝ってもらっても、お気に入りのミュージカルを楽しんでも、そして見晴らしの最高な宿に泊まっても、次の日にはその感激は消え去り、いつものつまらない日常の中にいる。
どんなことだって終わりは来る。延々と続くわけがない。その上、世の中そんな楽しいことは滅多にない、だからこそ、その貴重な瞬間を楽しめるのだ。そんなことはわかっている。
でも、常に楽しい気分でいたい、その願望から私は逃れられない。
私は、後悔の名人かもしれない――
人生すべてが後悔から成り立っているような気がする。あの時ああしていたら、あるいはあんなことさえしなければ、振り返ればそんなことばかりだ。
もしも、もしもやり直すことができたなら……いや、もしそんなことができたら、私は何度も同じ場面を繰り返し、前へ進めなくなるだろう。どれが満足のいく決断なのかわからないという迷路に入り込むだけだ。
そんな私が後悔しなかったことと言えば、結婚と出産くらいだろう。いや、でも、私などと結婚しなければ、夫はもっと幸せになっていたかもしれないし、子どもたちも素晴らしい母の元に生まれていたかもしれない……
このように、私は自分自身を全否定してしまう。自分に自信がもてず、それゆえ判断が揺らぐ。それが後悔へとつながっていくのだろう。
羨望、欲望、後悔、この三つの悪癖を克服できたら、どんなに生きやすいことだろう。完璧な人間などどこにも存在しない。だとしても、私の場合はあまりにも不完全すぎる。
そんな私に、神様はチャンスをくださった。私の前に天使が舞い降りたのだ! そう、かわいい孫の誕生だ。
赤ん坊を見ていると、心が洗われていく。
人を羨んだり、何かを欲したり、過ぎたことを悔やんだり――そんな愚かな感情は消えていた。目の前で微笑む、汚れを知らない新しい命。
そうだ! 私もこの赤ん坊とともに、まっさらな人間になろう。肉体は無理でも、せめて心だけはこの子のように……
そう決意した次の日、私は天に召された。突然死が訪れたのだ。
天に上るわずかな時間だけ意識を持てた私は、自分がこの世での修業を全うしたことを知った。
作品名:ショートショート集 『一粒のショコラ』 作家名:鏡湖