ショートショート集 『一粒のショコラ』
ー19ー 笑う門には
世の中には、見えない方がいいものがある。
たとえば、インフルエンザウイルス。もし、目に見えたら、人は外を歩けなくなるだろう。
それからネット社会――街の空には、隙間もないほどの電波が飛び交っているに違いない。微笑ましい会話であればいいが、その中には諍いや憎悪なども多く含まれているだろう。そんなものが目に見えたら、たまったものではない。
いつから、ネットが社会を牛耳るようになったのだろうか? 文明の発達は人間の進歩であり、誰にも止められないが、功罪どちらも生み出す。そのリスクの方をまともに受けた私は、世の中がすっかり怖くなってしまった。
ネットの中は仮想空間。仮名を名乗る自分は、いつでも抹殺できるのだから、使い方次第で、楽しい部分だけを味わうことができると気楽に考えていた。
ところが、そうはいかなかった。たとえ、存在しない人物になったつもりでも、言葉には人格というものが現れ、そこには魂が存在した。会話を重ねていけば、喜びや怒り、悲しみなどの感情が生まれ、それらは現実社会のそれとなんら変わることはなかった。
さらに厄介なことには、現実の世界より仮想空間での関わりの方が、深い場合もあることだった。顔が見えない気安さから、本音で関わることが多く、心と心がつながり、脳と脳がダイレクトに反応しあっていると錯覚することさえある。
表情など一切介しないただ文字だけの関係は、誤解を生じることも多く、そのため一たびこじれると、そのダメージは思いのほか大きい。思い通りにいかない現実世界から、仮想世界に逃避しても、そこで待っているものは、同じく思い通りにいかないことばかりだ。当然といえば当然である、その仮想空間の中にいるのは生身の人間たちなのだから。
そこでもうまくいかないというのは、結局は自分の人間性に問題があるということだ……自分はダメな人間だ……いや、そう思うところがダメなんだ……
そうやって私は、どんどんと泥沼にはまっていった。
すっかり暗がりに沈み込んだ私から、いつしか笑顔が消えていた。お笑い芸人を見ても落語を聞いても笑えない。爆笑する人たちの気持ちがわからい。なんでそんなに笑えるのだろう?
そんな時、幼なじみと会う機会があった。当然、懐かしい子どもの頃の話になる。中学生だったあの頃は、本当にいつも笑っていた。
ある時など、授業が始まるチャイムが鳴り、教室のドアを開けて先生が入ってきただけで、可笑しくてたまらなかった。さらに先生の顔をまともに見ようものなら、もう可笑しくて可笑しくて笑いをこらえるのに涙が出た。今にして思えばとても失礼な話だが、箸が転んでも可笑しい年頃なのだから、勘弁してもらうしかない。
あの頃を思い出した私は、少し元気が湧いてきた。そうだ、笑顔だ。無理な笑顔は、最初は不自然かもしれない。でもそのうち、心から笑えるようになる気がしてきた。
友だちの笑顔、家族の笑顔は見ている方も楽しくなる。もうあの頃のように無邪気に笑うことはできないけれど、私も周りに笑顔を送ろう。そして、新しいこの時代を笑って生きていこう。
笑う門には福来る――
先人のこの教えを信じて。
作品名:ショートショート集 『一粒のショコラ』 作家名:鏡湖