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雑魚

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「赤い橋が見えるな」
 友人がそういった。私はさっきも聞いたぞと返すと、そうだなと零した。
 友人の言葉に妙な引っかかりを覚え、赤い橋を見た。少し遠くにあるが、きちんと見えている。
風が吹き、赤い橋から何かが剥がれ落ちているように見えた。桜の花びらが落ちるような、落下によって、あの赤い橋が錆の橋だったことを思い出した。
 その時、私の前を何かが、何かがぬらりと通り、着物と皮膚に間にそいつが流れ込んできた。皮膚を這うように巡るそいつは吸い付く蛭よりも気味が悪く、黴臭い着物がさらに異様な匂いを発しそうだと思った。
 友人は私の変化に気づいたようで、風が一瞬止んだ僅かな隙間を縫って、中学の時、と話し始めた。
「随分前だが、あの時、高校を決めなさいと言われ、僕はだいぶ悩んだ。それは進路選択を悩んだというより、もっと実態のない不安に対してのものだった」
 友人の言葉を、着物の中の空気を入れ替えながら聞いていたが、なぜだかいつもに増して理解できた。
「なんとなくだが、わかる」
「ああ、そうだろうと思って君を呼んだ。他の友人たちはもっと具体的なことを連想するだろうから。文理選択だったり、制服だったり、とか」
 そのあと友人は黙ってしまった。私は友人が何を考えているのか、ぼんやりと理解しだしているような傲慢な気でいた。
 私は川面に浮かぶ大量生産品のような鱗を見渡した。風は同じ方向に連なり、鱗は反逆することなく、流れていく。些細な差が鱗たちにはあるはずだが、川面の風景にはそれが全く見えず、雑魚の鱗のように興味を惹かない。
「つまりは、こういうことだろう?」
私は友人の目を川面に向けさせた。友人はしばらく川面に意識を向け、小さく頷いた。
「僕は、このまま就職して、いいのだろうか」
「その質問も、他の誰かだったら違う風に受け取ってもっと企業を知れだとか、助言するかもしれないな」
「ああ、そうかもしれない」


「僕は、怖い。このまま流れに逆らわず、社会に出ていくことが。鱗の一部になって、風に揺られて、段々一枚の鱗として見られず、一匹の魚の一部として見られる。それが正しいと思い込めれば、この得体のしれない不安は解消されるのだろうけど」
 友人は川面を見ながら、表現を改めて私に伝えてきた。
「小説を書いてきた僕や君にとって、それは個性の没落でしかないものな」
 友人はその場に座り込んだ。小さな白い花が咲いているが、その出現を喜び、話を紡ぐ余裕は今の友人にはない。ただただ川面を、鱗の流れを見ている。
「今は、まだこちらにいる。でも、社会にでたあと、あの鱗の中に飛び込んだ後、僕という人間は生きているのだろうか」
 私は何も言わず、ただ鱗を見ている。友人は私より一歩、いや数歩あの悲劇に近づいている。私はまだ赤い橋をきちんと追えていて、友人は錆の橋だと分かってしまっているのだ。

 錆の橋の上を一台の車が通った。振動でまき散らされた錆は、川面の鱗に落下し、いくつかの鱗に新しい個性を生み出した。しかし、あとからやってきた同じ鱗がそれらを押し流し、その個性ある鱗はいつの間にかいなくなってしまった。
「なあ、僕はこの得体のしれない不安を無視すればいいのか。他の快楽や、他の不安にのめりこんだり、そうやって薄めればいいのか?君はどう思う。僕は君の答えが聞きたい」
 私は非常に困った。私はまだ錆の橋を見ていないのだ。赤い橋としか認識できていない私は何も言うことができなかった。

 そのあと、私と友人は家まで川の流れに逆らいながら歩いた。友人は最後の足掻きだといって少年のような目を持ち、私を先導していた。そこには烏のリズムが全く見えず、こんな歩き方もできたのか、と友人の後ろ姿を見ていた。
友人と別れ、家へ向かう帰り道、私はまるで粘度の高い泥濘の中を歩いているかのような感覚を抱き、さらに上半身の異常なまでの解放感に包まれていた。地面が融かされ、泥濘にはまりながら、空中にさす夕焼けの閃光に感涙を覚える。下半身を無視すれば、随分気楽で、楽観的で、色彩豊かな世界が広がっていた。
それでも一繋ぎの着物の衿下に付着した泥濘の重さを振り切れるほどの、強引な楽観視は難しいものだと思いながら、錆など一切現れていない部屋に戻った。


 次の日、毒物を飲んで泡を吹いている友人が発見された。
作品名:雑魚 作家名:晴(ハル)