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宿題

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              『宿題』

「杉田敦」
「はい!」
「瀬戸あすみ」
「はい!」
 壇上では今日卒業を迎える生徒たちに卒業証書が授与されている。
 どの顔を見てもこの一年の出来事が思い出される。
 それだけではない、中学校の教員となって三十八年、これまで教えてきた数知れない生徒たちの顔も走馬灯のように行過ぎる。
 私は今年定年を迎える、これが最後の卒業式になるのだ、もう教壇に立つこともなければ、生徒たちを叱ったり褒めたりすることもなくなる。
 そう、これは私の卒業式でもあるのだ。

 三十八年間の教師生活を通じて、私はあまり生徒に人気のある教師ではなかったかも知れない。
 まず、顔がこわもて……こればかりは持って生まれたものだから仕方がないことだが、曲がったことが嫌いな性格も顔に出てしまっているのだろう、大抵の場合第一印象は『怖そうな先生』だったようだ。
 生徒にも厳しかったと思う。
 中学生と言うのは、それまでは親の庇護下にあった雛が羽ばたく練習を始める頃のようなものだ。
 本人はもう自分の翼で飛べると思うのだろうが、実際の所はそうではない、しかし、だからと言って庇護したままではいつまで経っても自分の翼で飛べるようにはならない。
 一生懸命羽ばたくのを見守ってやりながらも、巣から落ちないように気を使ってやらなければならないのだ。
 そして、地道に羽ばたきの練習をする者ばかりではない。
 いつまでも練習を始めようとしない者もいれば、周囲を傷つけてまで無理に飛ぼうとしたがる者もいる。
 私はそれぞれの生徒の個性を見極めて、ある者には叱咤激励し、ある者には小言を与えて対応して来たつもりだ。
 もっとも、それが伝わることもあれば、伝わらずに反発され疎まれた事もある、それは仕方がないことだ。
 そして、壇上の生徒たちにかぶるように思い出される生徒のほとんどは、何度もぶつかり合ったものの、最後にはわかりあえた生徒たちだ。

「山田辰夫」
「はいっ!」
 ひときわ大きな返事で壇上に上ったのは、やはりそんな生徒だった。
 辰夫の両親は夫婦で居酒屋を営んでいる。
 住まいは団地、最近はあまりこの言葉は使われなくなったが、辰夫の家は2DKのいわゆる『団地』だ、両親は店で過ごす時間が長いのであまり住まいにはこだわらないようだ。
 辰夫が帰る頃には両親は既に仕込みの為に店に出ていて、帰りは深夜になる。
 店は繁盛しているようで、辰夫は夕食代込みでかなりの額の小遣いを貰っていた。
 それで夜遊びを覚えるなと言う方が無理だ。
 辰夫もゲーセンやらなにやら遊びまわり、体が大きく力も強かったので、ほかの中学の生徒ばかりでなく高校生などとも良くケンカした。
 ケンカそのものが必ずしも悪いとは思わない、しかし、『ガンをつけた』などと言った、理由もないようなケンカは何のプラスにもならないと思っているから、辰夫には随分と注意もしたが、反発されるばかりだった。
 そんな彼と心を通わせられたのは、補導された彼を迎えに行ってやった時のことだ。
 辰夫はどうやら親ともケンカの最中だったらしく、交番で親の名前ではなく私の名前を出したのだ。
 身元を引き受けて家まで送ってやった別れ際、彼は私に対して初めて反抗的でない言葉を口にした。
「先生……迎えに来てくれてありがとな……」
 それ以来、彼は少しづつ態度を改めるようになり、荒れ放題の底辺高ではなく、そこそこの県立高校に合格して進学する、きっとそこでも頑張ってくれることだと信じている。

「山本絵里香」
「はい!」
「以上、三年A組、四十名」
 私は立ち上がって校長に一礼した。
 受け持った生徒を無事全員卒業させることができた喜びを噛み締めながら……。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「まずは卒業おめでとう」
 式の後、教室に戻って最後のホームルームだ。
 生徒にとってだけでなく、私にとっても……。
「最後に、君たちに宿題を出す」
 一斉に『え~っ!』と言う声が上る、それはそうだろう、卒業式の日に宿題などありえないのだから。
「提出期限は決めない、いつまでかかっても良いから提出して欲しい」
 そう言って私は黒板に向かい、出来る限り大きく板書した。


     『精一杯、悔いのない人生を送れ、そして幸せになれ』

 
 騒いでいた生徒もシーンとなった。
「私は卒業アルバムに書いてある住所でずっと提出を待っている、電話でも手紙でも、メールでも良い、今自分は幸せだと思ったらいつでも提出して欲しい……これでホームルームを終わる、もう一度言おう、卒業おめでとう……」
 私が生徒たちに深々と一礼すると、誰が号令をかけたわけでもなく、皆が立ち上がって一礼を返してくれた。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「準備はいいですか?」
「ああ、昨日の内に全部しておいた、いつでも出かけられるぞ」
「じゃぁ、参りましょう」
「ああ」

 卒業式から帰るなり、私は妻が運転する車の助手席に乗り込んだ。
 行き先は病院だ。

 実は昨年暮れの健康診断でガンが見つかった。
 幸い発見が比較的早かったので、手術すれば回復の見込みは充分にあるという。
 そして『手術は早ければ早いほど良い』とも言われたが、私は医師に頼み込んで抗ガン剤で進行を止めてもらい、手術を三月末まで待ってもらった。
 半生を捧げて来た教師生活も今年が最後、受け持った生徒たちは卒業まで見届けたかったのだ。
 元々髪はかなり薄くなっていたので、抗ガン剤の影響で抜け落ちても怪しまれずに済んだ。

「あなた……」
「何だ?」
「必ず良くなって下さいね」
 見ると、妻は少し涙を浮かべているようだ。
「ああ、わかってる、まだ死ぬわけには行かないよ」
「ええ……」

 もちろん妻のためでもある。
 教師としての半生は精一杯勤めて来たと思っているし、悔いもないが、悔いのない幸せな人生を生き切ったとまでは思っていない。
 今まで教師の仕事を全てに優先させて来た、それを支え続けてくれた妻を幸せにする責任が私にはある、そしてそれは私自身の幸せでもあるはずだ。
 それだけではない。
 私は生徒たちに期限を定めない宿題を出したのだ。
 皆が提出してくれるまで私はこの世からいなくなるわけには行かない、卒業アルバムの住所でいつまでも待っていると約束したのだから。

 生徒全員が宿題を提出してくれるまで、私自身が精一杯、幸せに生きていなければ……。
 最後に生徒に出した宿題は、私自身への宿題でもあるのだ。
作品名:宿題 作家名:ST