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隣人はただ笑う

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人間に対する興味は尽きない。
 碧眼の鬼は表情を変えず、ただ己の正面に座った人間を眺めていた。
 外見は己等鬼と呼ばれる物の怪とよく似ている。いわゆる「人型」の言葉の由来となった生き物だ。だが中身は全くの別物で、脆く、力も弱く、寿命も短い生き物である。
「なあ、ハガクレ。俺の話を聞いてるか?」
 突如、眼前の人間に声を掛けられた鬼は我に返り、思わず「ああ」と声を返した。実は全く聞いていなかったけれど、それを言えばくだらない愚痴が始まることが目に見えていたので仕方ない。適当に話を合わせよう。そう胸中で呟いてハガクレは話の続きを促す。
「だからな、美人だからって言ってホイホイついて行ったら痛い目見るって話だよ。アンタも気を付けろよ」
 人間は沈痛な面持ちで言った。彼の手元のお猪口に注がれた酒がゆらゆらと波打つ。
 何の話だったか。聞いていなかったため矢張りわからないが、そう言えば最初に彼は「酷い目に遭った!」と絡んできたか。外傷は無いように見えることから命に別状は無いのだろうが、肝が冷えた思いをしたのだろう。
 哀れ、と思うより呆れが勝った。
「新良」
 鬼が人間の名を呼ぶ。呼ばれた人間は「あ?」と返し手元のお猪口から目を上げた。
「君はもっと警戒を学んだほうが良い」
「警戒?」
 途端、新良が眉を顰める。
「釈迦に説法だろ。何年行商人やってると思ってんだ」
 警戒も逃げる術も、命を守るために学んだ。今更「警戒をしろ」だなんて初歩中の初歩、言われずとも解っている。
 馬鹿にするな、と言いたげに新良が牙を剥く。だがハガクレは構わず続けた。
「確かに君は、危険だと察した人間の男には警戒するでしょう。そして、物の怪には警戒と畏怖を。だけれど、人間の女性に対しては何処か油断した節が有る」
 それはきっと、己が男で力技に持ち込めばなんとでもなるという新良の粗慢だ。
「美人に限らず。女も怖い」
 鬼は碧眼を細めてニィと笑う。
 刹那。
「友人、と呼べる生き物にも警戒を怠ることなかれ、だ」
 気付けば鬼の爪先が新良の喉元に伸ばされていた。そこに至るまでの所作は全く目に止まらず、その気になればハガクレの爪はいとも簡単に新良の首を刎ねていただろう。
 ゴクリと喉を鳴らせば、鋭い爪先が皮膚の薄皮一枚を裂いた。
「まあ、私は君をどうこうしようという気もないけれどね」
 ハガクレは小さく笑うと手を引っ込めて足元においた荷を掴む。彼は未だ呆けている新良を一瞥し、卓の端に数枚の銭を置くと軽やかに踵を返した。
「じゃあね、新良。こんなふうに虚を突かれないように気を付けるんだよ」
 折角興味深い生き物なのだから。私の好奇心を満たすため、どうかつまらない事で死んでくれるな。
 鬼はもう振り返らず、ひらりと手を振るって場を後にした。
作品名:隣人はただ笑う 作家名:Kの字