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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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旧説帝都エデン

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 風を切る御札がそこにいたモノを捕らえた。御札が張り付くまでそれは常人の目では捉えることはできなかった。だが、今ならわかる。石畳の上に落ちたのは紛れもなく鴉だった。
 揺らめくように歩くセーフィエルは地面に落ちた鴉を拾い上げ、愛でるように御札を取って風に流した。
「二度目でバレてしまったのね」
「一度目に黒い影が飛ぶのを微かに見たからの」
 命の印を切ったのはセーフィエルの放った鴉の鋭い嘴[クチバシ]であったのだ。命はそれを瞬時に見破っていた。
 印に捕らえられている雷獣に命が近づく。
「?還?!」
 雷獣が空に爪を立てて抵抗しながら、セーフィエルの影の中に還っていった。
 黒い双眸がセーフィエルを見据えた。
「まだやるのかえ?」
「いいえ、結構よ」
 セーフィエルは静かに微笑った。全ては彼女の思惑通りに進んでいる。それは命にもわかっていたが、今はセーフィエルの話に乗らねば成らなかった。
「では兄上のところに案内してくれるのかえ?」
「わたくしの影の中へお入りくだされば、貴女の兄がいる場所に辿り着けるかもしれませんわ」
「その言い草は、辿り着けぬかもしれぬということかえ?」
「その通りよ。わたくしの影はチャンネルを合わせさえすれば異界に通じるゲートと化すわ。そして、今は貴女の兄がいる場所に繋がる?道?に繋がっている。けれど、その?道?は気まぐれだから、入ったら一生彷徨い続けることもあるでしょうね。それでも行くと言うのなら、どうぞお入りになって」
 命の足はすでにセーフィエルの影に向かって歩き出されていた。
「危険は承知のうえじゃ」
 命のつま先が影に触れると、それは水面のように波紋を描いた。そして、そのまま命は影の中に勢いよく飛び込んだ。
 世界が闇の呑まれた。

 飛び込んだのは闇であったが、そこは白一色であった。
 白装束は世界に溶け、紅い模様が色鮮やかに浮き上がる。
 地面もなく空もない。浮遊感はあるが、地面があるように歩くことができる。だが、方向感覚は失われているので、左右前後、はたまた上下のどの方向に歩いているのわからなかった。
 時間の感覚は奪われている。どのくらいここにいるのかもわからない。1秒か1時間か1日か。
 白が命を侵食し、彼女はすでに自分が何者であるかを忘れかけていた。
 五感が失われていく。
 命という存在が失われていく。
 着ている装束から色が奪われ白と化し。命の肌も白くなっていく。
 このままで呑まれてしまう。
 無意識の内に命は何かに手を伸ばした。
 世界が突然闇に転じた。
 ここではもう命の姿も見ることができない。
 意識を失えば、本当に何もなくなってしまう。
 意識が闇の呑まれようとしたその時、ないはず命の手が握られて引きずられた。
 開かれる世界。闇が裂けて光が差し込む。
 命の手を誰がの手が握っている。その手は雪のように白くか細いが、命の手を握り締める力は強い。決して命の手を放さない。
 命はゆっくりと目を開けた。
 辺りは一面満開の花畑だった。
「久しぶりですね、命」
 命は優しい声の持ち主に顔を見た。それは紛れもない、親愛なる兄の顔であった。
「兄上……なのじゃな?」
「兄の顔を見忘れですか?」
「いや、お変わりない。何も変わっていないようじゃ」
「確かに、ここに来てから僕の時間は止まりましたからね。命の方が僕よりも年上ではないかな?」
 姿を消したあの日から、兄の姿は変わっていなかった。
 命は自分の兄の身に何が起きたのか知らない。兄がなぜここにいるのか知らない。命は何も知らなかった。
「兄上はなぜこのような場所にいるのかえ?」
「人柱のようなものだよ。僕はあるモノを押さえ込む代わりに、ここに封じられた」
「そのあるモノとは?」
「それは残念ながら言えない」
 兄が言えないというのなら、命にはそれ以上聞くことができなかった。
 長年探し求めていた兄に会うことができた。しかし、それだけだった。命は兄が元の世界に還れぬことを知った。
「兄上はずっとここに一人で居ったのかえ?」
「ああ、たまに来客があるけど、それ以外は独りだった。つい先日まではね」
 彼の視線が遥か遠くに向けられた。その視線を追った命の目が見開かれる。そこにいたのは、なんとあの魔剣士だったのだ。
 魔剣士は空をただ眺めているだけだった。その身体からはいつかの鬼気は消えている。場に完全に溶けてしまっている。
「あの者は……?」
 命は言葉に詰まった。なぜ、あの魔剣士がここにいるのか皆目検討もつかなかった。神威神社を壊した張本人が兄といるのがわからなかった。
「あの者の名は殺葵というのだよ」
「名前などはよい、あの者は神威神社を壊したのじゃぞ!」
「そのことは風の噂で聞いたよ。でも、過ぎたことさ」
 春風駘蕩とした面持ちで彼は笑った。それが命には解せない。
「兄上の考えが妾にはわかりかねる」
「殺葵くんは無口でここに来てから僕に何も言ってくれないけど、それでも彼が悪人ではないことはわかる。悪人でないから善人であるということではないけれど、彼には彼の事情があったのだと思うよ」
「その事情とやらで神威神社を壊されては困る」
「自分の事情と他人の事情が噛み合わないことなんてざらにあることだよ。だから、あちらは争いが耐えない。疲れていた僕に、ここはちょうどいい場所だった。でも、暇だね」
「ならば、妾と共に元の世界に」
「それはできない。僕はここで永遠を過ごす運命なんだよ。命とは住む世界が違う、だから、早くお帰り、命の住むべき世界へ」
「兄上!?」
 命のおでこに白い手がそっと触れた。次の瞬間に命は意識を失い、花畑の上に倒れてしまった。
「会いたいと言ったのは僕だった。けれど、会わない方がよかったな」

 命が目を覚ましたのはホテルのベッドの上だった。
 神威神社が壊されてから、命はこのホテルで暮らしている。
 日付を確認した命は苦笑した。
「全ては夢であったか……」
 3月21日――その日は神威神社が壊されてからちょうど3週間目であった。

 命 完