やまもも 投稿用
【大伴坂上郎女】おおとものさかのうえのいらつめ。
奈良時代においての女流歌人といえば、この人。
額田王が天智天皇、天武天皇の二人の皇子(みこ)を翻弄していたことは有名であるが、もう一人、恋多き女と噂されるのが、この郎女。
大伴一族の娘で歌人として登場するのが、何と十五であった。
郎女の歌った、こんな歌がある。
「恋ひ恋ひて 逢へるときだに 愛しき(うるわしき)言尽くしてよ 長くとおもはば」
恋しくて、やっとあなたと会えた。そのときくらい、深い愛の言葉をください。(そうすれば恋は)長く続くはずですから。
「言尽くしてよ」とは、古代と思えぬほどストレートで、今風にも思える。
私は郎女のこういうところを好ましく思い、永井路子氏の「はだしの皇女」をよく読んでいた。
そこからのイメージもあるが、郎女は、自由奔放で、あきらめもよく、夫や恋人を三度遍歴しているなども含めても、好きな女流歌人である。
彼女と初めて結婚したのは、天武天皇の子で、穂積皇子といった。
穂積は、但馬皇女(たぢまのひめみこ)と激しい恋をし、但馬は散っていった。
但馬は年上で武骨な高市皇子(たけちのみこ)の妻で、財力も充分あったためか、穂積に対しては積極的に感情をむき出しにしていた。
年上でつまらない夫よりは、同年代の若い穂積とのスキャンダラスな恋のほうが、身を焦がす。
高市の死後、但馬もまた、逝去する。
残された穂積は、慟哭したのに違いなく、ところが坂上郎女と出会った際、こんな歌を歌った。
「家にある 櫃に鍵刺しおさめてし 恋のやっこが つかみかかりて」
櫃とは箱のことで、意訳すると、穂積は恋心を箱につめて鍵をかけて隠しておいたのに、箱から恋の奴がつかみかかってきた。
それほどに郎女という娘は、中年の男さえ虜にする魅力を持ち合わせていたのだろう。
その後もエリートの藤原麻呂と破局したり、同族の大伴宿祢宿奈麻呂(すくねすくなまろ)との再婚をするが、宿奈麻呂は死去してしまう。