睡蓮の書 五、生命の章
「それを定める権利は、我々にはないのかもしれない……」しかし、とドサムは言う。「私は――たとえ同じにならなくとも、それを愛しみ守るだろう。そうして新たにそれをいつくしむ道を探るだろう。以前の形、ホテアへ傾けていた思いも含めて――」
そうすることしか、できない。――それが彼の答えであるのだ。
「そんなの、あの子には関係ない! 生きているのは別の、違う何かなのに――!」
ラアは思わず声を荒立て叫んでいた。
「あなたは何だっていいんだ。同じ形をしていれば、中身なんてどうだって……。そんなの、あの子が喜ぶとおもう? そうやってあなたは、守りたいものを守ろうとしすぎて、結局傷つけるんじゃないか! そんなの、一緒だ!」
「それはしかし……生きている間にも起こりうることではないのか」ドサムは言った。「生きているうちに、それまで連続して得ていた『自身』を手放したとして――お前はそれを死と考えるのか。そうして生きることに、意味などないと言い放つのか……?」
ハッとラアの目が開かれる。
「……わからない……」
考えたことがなかった。ラアは口ごもる。
「――でも、おれは嫌だ。そんなのは、おれだったら……やっぱり嫌だ」
受け入れることができない。ラアには、それが自身の生とは、どうしても考えられなかった。
「私は」ドサムはそうして、誓うように声する。「私の神性に従い、どの命であってもそれを一つの尊ぶべき生と受け止めるだろう。ホテアが――あの睡蓮の精霊が、それによって深く傷つくのであれば、それを負う生を見守るまで……」
生命をありのまま引き受ける。その覚悟というべき言葉が、波紋を描くように幾重にも響きわたる。
異なる彼らの軸。それは千年前の魂を宿した彼らの在り方においても同様であった。
ドサムはハピを受け入れ、まるで元から共にあったかのように自然にふるまう。変化はあったろう、しかしそれもひとつの形として受けとめる。中心に据える軸さえ同じであれば、変化は必然であるとすら考えるのだ。
しかしラアは違う。彼はホルアクティにひと時その身を譲り渡しただけである。その境は明らかであり、侵すことは決してあってはならない。ラアはその自我を頑なに守ろうとし、その軸を揺るがすものを許しはしなかった。
まるで真逆である。ゆえにラアには、ドサムの考えが理解できない。それは諦めのような、薄弱たる意思の表れに映る。曖昧にすることで誤魔化し、どうにか受け入れようとする、それは生き永らえることを何よりその軸に置くために起こる、妥協であるのだと。
しかしまた、ドサムの浮かべる苦悶の表情が、それが惰弱な意思のもたらす自我の軽視などではないのだと彼に教える。
じりと胸が騒いだ。ラアは顔をうつむけると、ぽつりと言う。
「……あなたは正しいのかもしれない」
そうして、ぎゅと両のこぶしを握りしめる。
「でも、おれが間違ってるとは、おもわない」
分からないのは、彼が自分にはまだ見えていないものを見ているからかもしれない。
それを知ってしまえば、変わらざるを得なくなるのだろう。
けれど、そうしたものを求めようとは、今は思わない。
ゆるぎない軸、その指し示すまま、まっすぐに。
今ここに生きるために。何より自身の望む形であるために。
「おれは、他の何かになんてならない」
光をもって影を払う――それが太陽神の神性である。
光とは、自身である。
そして払うべき影は、自身のまことに背くものすべてである。
「おれ自身のまま、生き尽くすんだ――」
生き尽くす――強くその言葉を大気に刻み、
ラアは漆黒の眼に、金の火を灯した。
ざわりと彼の黒髪が逆立ち、ラアの体をかたどるように闇が、夜闇よりずっと冥い闇が星々を呑むようにして湧き出した。
ずずずと擦れるような音を立て引き込まれる大気。きいんと高く響く耳鳴り。耳をつんざくそれらはまるで、不気味な前触れ。
「それは敗北だ!」
ドサムは思わず叫んだ。
「お前は、お前自身の力に、負けたのだ――!」
それに呼応するように、彼らを包んでいた空間が、それを形作っていた獣の群れが、一斉にラアに向かい押し寄せた。
怒涛の如くなだれ込む透明な「力」が、瞬時にラアを呑み込んだ――と、その直後、ラアの体から黄金の光があふれだした――。
作品名:睡蓮の書 五、生命の章 作家名:文目ゆうき