小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

睡蓮の書 五、生命の章

INDEX|14ページ/38ページ|

次のページ前のページ
 

中・生きるために・1、断絶



 混沌に帰す力。
 それは千年前あの水害を引き起こした、ハピを指したのではなかったのだと。
「……そうだ、兄さん」
 ホルアクティは低く声した。
「あの予言は――疑いようもなく――今この時を示している」
 ハピはゆっくりとうなずく。 
「王座にある太陽神に、月すなわち異界の力が宿る。千年前、私が過ちを犯したあの時のように……否、現太陽神は自らの意思であの、忌避すべき“力”を現わそうとしている」
 千年前に比べ、ずっと若く小さなこの太陽神の身体に。宿るその「力」は、彼自身がそれを望むために。
「兄さん、わたしは」ホルアクティは言った。「千年前、あなたを滅ぼさんとし、アンプに語りかけたその時に。あなたとアンプにあるものと同じ……ウシルの血と共に受け継いだ“裏側”の性質というべきものが、わたし自身にもあるのだと気付いた」
 だからこそ、兄ハピの魂とともに、ホルアクティ自身をも封印するよう願ったのである。
「けれどこの通り――遠ざけたはずのものが、現れ出てしまった……」
「『月』が目覚めた為に、か?」
 ハピが言うと、ホルアクティは首を振った。
「我々は勘違いをしていたのです、兄さん。ウシルの血だけが、その性質をつなぐものではない。異界は我々の世界の裏側に、背を合わせるようにして常にあり、それを排することなど、到底できるものではなかった」
「すなわち、それを遠ざける努力は常になされるべきであったのだ。……そうだな?」
 ハピの言葉に、ホルアクティは口を結び、ふたたび顔をうつむけた。
「――そう、『月』が原因なのではない」
 そうしてハピはひとり語りだす。
「冥界ドゥアトを形作る『原初』の闇、創造主らは、常に初めの姿に戻らんとその片割れを求める。表裏は一体である、そしてそれは日常に――目に耳に肌に心に、感じ取るすべてに宿る。気を許せばたちまち呑み込まれるのだ。
 そうしたものに身をゆだねた、その成れの果てが、お前の宿主だ」
「……」
「ホルアクティよ。千年前の混乱を引き起こした当事者である我々は、予言の時をついに迎えた今、それを阻止するために、こうして再び生じた……そうであろう? 千年前お前が成そうとしたように、今こそ再びこの地を守る時。今は、われら兄弟ふたりの手で――」
「兄さん」
 そのとき、ホルアクティの声が兄の言葉を遮った。
「わたしは、何かを成すためにここにあるのじゃない」
 顔を引き上げ見据えるその瞳は千年前と同じ、確かな意思を灯していた。
「我々がふたたびこうしているのは、封印という形で棚上げされた問題と、今度こそ確かに向き合うためです」
「その問題こそは」と、ハピは声した。「いま目前にしているこの、混沌に帰す力であるだろう」
「いいえ兄さん。……今はこの身もこの時間も、我々のものではない。わたしは、これに介入するすべを持たないのです」
 ホルアクティが言うと、ハピは怪訝そうに眉を寄せた。
「では、お前のいう問題とは何だ」
「それは、我々が『時』を保ち、生を引き延ばしてきたこと。……今度こそ確かに『死』を手に入れる、そのために我々はここにあるのです」
「死。――当然、我々はドゥアトに還るだろう。しかしそれは、この戦を終えたのちの話だ」
 ハピは言うが、ホルアクティは応えなかった。
「ホルアクティよ。お前は今、介入するすべを持たないと言ったな。――どういうことだ?」
「意思の力が、わたしと彼とでは違うのです……あまりに、違う」
「お前がその意思を示しさえすれば、幾何かの影響が及ぶはずだ。内側からの抑止は、決して小さくはない」
「わたしの声が届かないとしたら?」
 挑むように声してから、ホルアクティはそれを改めるようにふっと首を振り、こう言った。
「――本当のところ、今のわたしには分からないのですよ、兄さん。彼の意思を抑えるべきかどうか」
 耳を疑うような義弟の言葉に、ハピは顔を歪ませた。
「何を言うのだ。……分からないだと? 世界が滅びようとしているのだぞ」
「もしかしたらと思うのですよ、兄さん。こうして混沌の性質、原初の創造主と近しい力が現れた今、これこそが、ウシルの創りだしたこの世界の、定めではないのかと」
「これが父の定めた道であるだと!? であれば尚更、我々がそれを正さねばなるまい!」
 ハピは次第にその声を荒立てる。信じられないというように、彼は何度も首を振った。
「お前は……お前は王となるとき、新たな理をうちたてようと志していたのではなかったか? なぜ今、この世の終焉を諦観をもって眺めようとする!」
「そう、わたしは新たなものを求めたい」
 金に灯る瞳でまっすぐに義兄を捉えたまま、彼は言う。
「兄さんにはきっと、分からないでしょう。まだ見ぬものを求める、そうした個人の強固な意思が、図らずもその根源、原初の形を求めてしまう――自然とそうなるのだと」
「自然であるだろう、しかしそれを許してはならない、断じて――! それこそが混沌に帰さんとする異界の、創造主の意思であるのだ。この世に生きるものはそれに抗うべきである。そのことが、生を歩むということに他ならない」
 応えるハピの唇はわなわなと震えていた。なぜ、そのような馬鹿げた考えを固持するのか。あってはならない、こんなことは、決して――。
「聞けホルアクティ。我々はこの世に産まれ落ち、生きるため、そうして世界を維持してゆくために、そこかしこから染み出るこの裏側の闇に、戦いを挑まねばならぬのだ。手を取りあい、それに呑まれぬよう用心し続けねばならぬのだ。その闇は呑まれたものの内で増殖する――そうなってしまえばもう、この世に相容れぬ存在となる。共存などできはしない」
「そうだ、兄さん。共存など、できない」
 ホルアクティは言った。
「危険を冒すことなしに、新たに成せるものなどない。――そうして我々のような性質を持つものは、兄さん、あなた方と戦うしかない」
 千年前、地属と火属の神々が争ったように。性質を違えるために、争いが止むことはないのだと。
 あるいは彼らの、その魂が互いに保持されてきたことは、この性質の異なるもの同士の争いを引き延ばしてきたことなのかもしれない。
「兄さん、あなたは光と闇を分かとうとする。彼はそれらを束ねようとする。両者の思いが交わることなど、決してない。戦い、そうして選び取るか、形を変えてゆくしかないんだ。
 父ウシルがこのように性質を分け有らしめたのも、こうした対立によって変化を与えるためなのでしょう」
「この世が滅びを迎えんとするこの時、そのような対立に何の意味があろう!? ここで仕舞にすべきだ、この悪しき『定め』なるものをこそ、我々は変えねばならぬ!」
「変わるかもしれない。けれどそれは、守ることに因らないかもしれない」
 ふたりの兄弟の間に横たわる、深い断絶。兄弟ははじめて互いに睨み合う。
「ホルアクティ。お前は……自らの役割を放棄するというのだな」
「彼を止めることが、わたしの役割だとは思わない」
 鋭く義弟を見据え、ハピはその眉間に深くしわを刻んだ。
 ――汚された。ホルアクティの意思は、その宿主たる現太陽神の意思に、毒されたのだと。