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テケツのジョニー 6 番外編

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 春は寄席の世界でも華やかな季節となる。真打昇進披露や襲名披露などが行われるからだ。
 オイラの居るこの場末の寄席も例外ではなく、明日から披露興行が行われるのだ。今昔亭燕吉改つば女の真打披露興行が行われるのだ。
 燕吉のことはオイラはよく知っている。ウチに出る時はいつも猫のオヤツを買って来てくれる優しい姉さんなんだ。
「ほらジョニー今日もチュウルー買って来てあげたよ」
 そう言って燕吉はペースト状になったオヤツをオイラにくれる。至福の時だぜ。あのチュウルーの旨さといったら、とても口には出せない。それほどオイラ達猫には好評なんだ。どの猫でも一度口にすれは体が蕩けるような感覚を味わうことが出来るんだ。
 燕吉姉さんはオイラを膝の上に乗せて食べさせてくれる。近所の猫どもが遠回りに眺めていて、こんな時オイラは少しだけ愉悦感を感じるのさ。
 その燕吉姉さんが苦節十三年の修行の結果、この春に真打昇進となったのさ。しかも協会としては数十年ぶりの一人昇進だ。これは大した事が無いと思うかも知れないが、凄い事なんだ。都内に寄席は四件。それに国立演芸場を含めると五十日間続く披露興行でトリを務めるのだ。寄席では一日三十人以上の噺家がそれぞれ別な演目を演じる。トリの噺家はそれらの噺と被らないように違うジャンルの噺を演じなくてはならない。それが五十日間連続で続くのだ。これは生半可な修行では身につかない。だから昨今の噺家が真打に昇進する時は数人でするのだ。その分トリになる事は少なくなる。五人だったら一つの寄席では二回しかトリを務めなくても良いのだ。違いが分かろうと言うものさ。
 オイラも数回真打昇進興行を見て、その違いが判って来た所なのさ。でも燕吉は最初からものが違っていた。噂によると素人時代に覚えた噺はプロになると使い物にならなくなる。一から覚え直すのが普通だそうだ。だが燕吉は最初から師匠を唸らせたと言う。それだけの素材だったと言う事なんだ。
 ここだけの話だけど、ある師匠が噂をしていたことがある
「燕吉が男だったらなぁ~本当に女である事が惜しいよ」
 その師匠は如何に燕吉の素質と努力が凄いのか知っていて、それでもそんな事をため息混じりに言っていたのさ。そうしたらオイラの飼い主の姉さんが
「師匠、女だから努力したんですよ。気持ちの何処かに男とか女とかを超越した何かがあって、それが努力をさせたのですよ」
 そう言って師匠を納得させたものだった。
 前日の飾り付けも日にちが終わる頃にやっと終わった。一門の噺家が皆手伝ってやっと終わったのだ。寄席が替わる時は大変なんだ。千秋楽が終わった前の寄席から飾り付けを取って掃除して、それから明日が初日の寄席にそれを持って来る。それからの飾り付けだから数人でやっても深夜になってしまうんだ。主人公の燕吉もやるし、終われば皆に飲ませるか食わせなければならない。こういった陰に隠れた出費も大変になる。大抵の噺家は借金があるそうだが、燕吉も多分そうだろう。後援会が立て替えてくれてはいるが、全部ではないが後で返すのだそうだ。
「つば女師匠。終わりました」
「ありがとう。ご苦労様。これで何か温かいものでも食べて帰って」
 あくびをしてるオイラの面前で弟弟子に白い紙に包まれたものを渡していた。
「毎日毎日大変じゃないですか」
「いいのよ。ここで最後だから。あとは国立だけだから」
「ありがとうございます」
「それと師匠じゃなくて姉さんでいいのよ」
「それはそうですが、披露の時ぐらいは……」
「義理堅いのね。いい噺家になるわよ」
「ありがとうございます! それじゃ失礼します」
「お疲れ様」
 弟弟子や手伝いの一門の若手が帰ってしまうと燕吉改つば女は
「ジョニーおいで」
 そう言ってオイラを抱きかかえて、場内に入って行った。客席と高座は未だ灯りが灯っていた。先程までの騒々しさは影を潜めシ~ンとなっていた。
 つば女はそのまま進んで高座に上がって行った。そして高座の真ん中で正座すると
「ジョニー。明日から寄席での最後の披露興行だよ。上手く行くように落語の神様にお願いしていてね。わたし頑張るからさ」
 つば女はオイラの背中を優しく撫でながら
「この披露興行でも色んな事言われた。『女のくせに』とか『色気で大師匠を誑かせたんだろう』とも言われたのよ。でもわたしは笑っていた。そんな事で昇進が決まるものでは無い。その証拠にわたしの噺を聴いて欲しい。わたしの高座を見て欲しい。そうすれば、そんな事考えなくなると……。聴いた人は何も言わなくなった。わたしは実力で一人昇進したんだと……」
「でも披露興行が進んで行くうちに変わって来た」
 高座の袖から師匠の燕朝が立っていた。
「師匠! いつから?」
「さっきからだよ」
 燕朝の目が笑っていた。
「毎日、毎日トリを取ると言う事は生半可な事では出来やしない。毎日高座に向かって行く事でお前の何かが変わって来たのだろう?」
 燕朝の言葉につば女は己の心を見透かされた気がした。
「どうしてそれを……」
「なぁに。素質があって少し天狗になった噺家なら誰でも通る道なのさ。そこで気が付いて変わるかそのままなのかで、その先が決まるんだ。お前は気がついた。やはり俺の睨んだ通りの奴だったよ。これで師匠の俺から渡すものは最後だ。明日からも変わらずに頑張れよ」
 燕朝はそれだけを言うと高座から消えて行った。オイラの顔に冷たいものが当たった。見上げるとつば女の顎から涙の雫が落ちてオイラに当たっていたのだった。つば女は師匠の後ろ姿に静かに頭を下げた。

 翌日からの披露興行は連日満員で札止めになる日もあったほどだった。そんな日はオイラはテケツの姉さんの膝の上から動く事は無かった。でも客の感じでつば女の出来が素晴らしいと言う事は伝わって来た。
 後年、今昔亭つば女は落語の歴史に残る噺家になったという。