夏のワンピース
今鏡の前で、ルンルンと鼻歌を歌いながらいろんな服を合わせているのは、魔法使いのお姉さんだった。つい一年前、魔法の国から人間の国にやってきた、近所のお姉さん。明日はデートらしく、その服を決めているようだった。
「あーん、決まんないよ! ほんと何着よ。ねえねえ弟子くんは、どの服が良いと思う?」
「どれでもいいと思います」
「どれでもいいとか! まじでその返答はない! そんなこという男はモテないよ!」
魔法使い先生はそうぷりぷり怒るが、本当に僕にとっては、どれを着ても同じなのである。
先生の着る服は、カタツムリが付いていたり、蝙蝠の翅がファー代わりに使われていたり、カエルの干物がアクセントに散りばめられたり、と、僕にとってはどれを着ようが見た瞬間恐怖と生き物への残酷な仕打ちにひっと、なってしまうのだった。どうやら、魔法の国と人間の国では感性が違うらしい。
「そういえば先生のデート相手って魔法の国の人ですか?」
「ううん。言ってなかったっけ、人間の国の人だよ。ネットで知り合って、そんで明日初めて会うの」
その言葉を聞いた瞬間、僕は真剣に先生の服選びに付き合おう、と決心した。猫の目玉つきワンピースを見せられるのは、相手が可哀そうだ。
「先生、人間の国の男と付き合うなら、もっとシンプルな服の方がいいです。断言します」
「えー、このヤモリのしっぽふりふり服とか可愛くない?」
「それは魔法の国の感性です。よく思い出してください。人間の国の男や女の服を。結構シンプルじゃなかったですか?」
「そういえば確かに……。ていうか現に弟子くんの服もシンプルだしね。そういうのが流行なの?」
「流行……かどうかはわかりませんが、少なくとも生き物の身体の一部をぶら下げたりはしません」
「そんなこと言ってー。どうせ着てる服はヒツジなんでしょ?」
「いいえ、これはポリエステルセーターです」
そこまで言うと先生は真剣に受け止めたらしく、少し黙り込んでしまった。そしてクローゼットを凄い勢いで漁りだしたかと思うと、一枚のワンピースを取り出した。
「じゃーん! 夏のワンピース!」
真っ青な夏空がプリントされた、綺麗なワンピースだ。デザインもシンプルで、人間の国でも浮かないだろう。しかし待ってほしい。今の季節は冬だ。
「先生、今の季節は冬です。流石に夏物のワンピースは駄目かと」
「夏物のワンピース? 違う違う、『夏の』ワンピース。弟子くん、こっちきて触ってみ?」
僕は先生に促されるまま服に触れる。――温かい。まるで、南国の日差しのような、自然な温かさだ。
「このワンピースはね、魔法の国でも有名なデザイナーが、服の中に南国の夏を移しこんだ至極の一点ものなの。ほら、――グレイスヘブン! ――」
先生が魔法の呪文を唱えると、指先の質量が急に無くなって、気が付けば腕が半分南国の中に入っていた。
「うわああ」
焦る僕を先生はにんまり笑って、――クローズグレイスヘブン――と唱えた。僕の腕は服から抜け出す。
「吃驚した?」
「ええ、驚きました」
腕の存在を確かめるように、僕は指先を握ったり開いたりする。ひとしきり落ち着くと僕は先生に訊ねた。
「また後でいいんで、呪文の意味教えてもらってもいいですか? 今まで教えてもらった魔法の呪文でも聞いたことないものでしたよね」
「あ、いいよいいよ今のは。この服のブランド名だから。ブランド名を言うことで魔法が発動するの。服飾業界の基本だよね」
「そうなんですか」
「そうなのよ。――取り敢えず、この夏のワンピース、無地でちょっと寂しいから、柄を探しに行こうかしら」
「柄を探す?」
「さっきの魔法の呪文は、服の持ち主が好きなものを服に入れられるように付けられてるの。さあ、弟子くん。服のデザインを探しに出かけるわよ」
先生は夏のワンピースを片手に颯爽と外へ繰り出す。僕は慌ててその背中を追いかけるのだった。
先生の箒の後ろに乗せてもらって飛んできたのは、山の一角だった。すべてが雪で覆われており、木も岩場も、全てが白い。動物どころか木の実さえも見当たらなかった。
「何かお目当てのものでもあるんですか?」
「勿論。ちょっと待っててね」
先生が雪で覆われた斜面を一部掘り返すと、穴の開いた岩壁が顔を出した。
穴は縦に直径二十センチほどの楕円形で、奥には空間が広がっているようだった。先生は確かめるように穴に耳を澄ませると、「うん、ここ」と呟いた。
「何かいるんですか?」
「鳥がいるの」
先生は僕と自分に動物と話せる魔法を掛けると、穴の中の鳥に話しかけた。
「こんなところで、何をしてるのー」
すると『人間だ』『生き物だ』『助けが来たぞ』『出られるぞ』と有象無象の一斉の声がわっと返ってきた。どうやら中には何百羽もの鳥がいるらしい。
そして暫くするとしんと静かになって、代表らしい鳥の声が返ってきた。
『南の島へ渡りの途中、吹雪にあい遭難してしまったのです。この岩穴に避難するも、すぐに入口は雪で覆われ、出られなくなってしまいました』
「そう、残念ね」
『どうか、助けてくださいませんか? 我々は南の国へ旅立たなければいけないのです』
「もう1月の半ばよ。今から飛びだったとしても、きっと貴方たちは食糧不足と寒さで死んでしまうわ」
『なんと。そんなにも経ってしまっていたのですね。暗い岩穴の中だと、時間の感覚がくるってしまう』
悲しい声が僕の胸を打つ。岩穴の黒い穴からは、鳥たちの絶望のうめきがしくしくと流れ出してくる。岩穴の中にいても死ぬ。外に出ても死ぬ。なんて非道い運命だろう。
「ねえ鳥さん、私と取引をしない?」
『取引……ですか。どのような』
「私がグレイスヘブン、って叫んだら、一斉に岩穴から飛び出してほしいの。その代わり貴方たちには半永久的な命と、暖かな南国をプレゼントするわ」
『岩穴から飛び出す――そんなことで私たちは助かるのですか!?』
「助かったと思うかは貴方たち次第だけど、とりあえずこの場で死ぬ運命は回避できるわよ」
鳥は一も二もなく了承して、『いつでもとびだせますよ』と言った。
先生は夏のワンピースを穴の前に掲げて、大きな声で
「――グレイスヘブン!」と叫んだ。
鳥の群れが一斉に穴から飛び出してきて、そして服の中にすいすい吸い込まれていく。質量を持った大量の鳥たちが、二次元化されていくのを間近で見るのは、とても不思議な気分だった。
暫くして鳥の群れはすっかり服の中に入ってしまった。
夏のワンピースは、綺麗な無地の夏空から、見事な千鳥格子に変身している。先生は柄の出来に満足そうに頷いた。僕もようやくまともそうな服を先生が着ることに安堵した。
先生の箒に乗せてもらいながらの帰り道、僕はズボンの膝の部分が擦り剝けていることに気付いた。そして僕ははっと気づく。
もし、先生がこけるなり、枝に服を引っかけてしまった時、千鳥格子の鳥たちはどうなるんだろうか。袖や裏地にまでびっしりと染まった千鳥格子に、僕は思いをはせた。