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まだはじまっちゃいねえよ

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明日はテストがある。嫌でもないけどいまいち受ける意味が曖昧だ。やらないよりやった方がいいけど、やったから何かになるかはよくわからない。経験値に1万円以上払ったと考えよう。英検の準一級と二級の試験が明日は朝からある。この数年TOEICを粘って年数回受け続けて725点まで取れた。800点以上が目標だったが、明日の英検と同様目的意識が薄いのかもしれない。なぜ、僕は英語の勉強を続けているのか?

今の本職は公立学校で担任をしている。しかし教師ではない。学級崩壊させる教師、ベテランがいても彼らは教師だ。僕は教員採用試験に受かっていない非正規雇用の担任なのだ。一年契約だから担任として一年働く。年収も正規より数十万落ちるが生活はできている。だけど、先々が不安だから英語資格を取ろうと勉強したり試験を受ける。そういった必要感より、もともとは海外に住みたかったり文化人類学者に憧れた時期もある異文化好きだから英語を続けることが自己実現なのかもしれない。

 大学受験のために高3の一年は英語も勉強した。そのときは英語は試験のためだけで点数のために頑張った。高校時代は、県内一の進学校で欠席早退遅刻がトップクラスの進学校の劣等生だった。謹慎処分もくらったり、受験勉強中も喫煙場所になっていたローソン裏で数十人が見守る中でのタイマンケンカや女関係での他校への殴り込みや、やはり今振り返ると無軌道な高校生だった。だけど、高三になってからはがんばった。生活主任の教師に、「進路も何も考えないでどうする気や。」と散々に言われていたが、黙って我流でがんばって現役で国立大に合格した。だから、うさぎとかめで言うなら「うさぎ」のような瞬発力には自信を持った。努力してもかめが辿り着けない場所まで、瞬発力で辿り着けたと自信を持った。

だけど、転んでしまった。また立ち上がったけど転んだ。何回も転んだ。
大学を出た後、転がり続けて立ち上がっても何度も転んだ。
瞬発力に頼り過ぎて、持久力に欠けていた。かめに勝てないうさぎのどつぼにはまったのだ。

 就職活動はうさぎの瞬発力で、自己分析、業界研究、企業研究をし自己実現を夢見て、猪突猛進で社会に突き進んだ。東京を舞台に選んだ。学生時にアジアを旅しているときに出会った日本人の東京人が、表も裏も抜きんでていると思っていた。社会的なことと遊びや悪さの両面が抜きんでている。大阪だとこれまでとあまり変わらないし、東京のやつらはすげーから東京に行ってみたい。就職活動の説明会や面接に夜行バスで何往復したのだろうか。マンガ喫茶で何回寝てシャワー浴びて慣れないスーツ着て面接に行ったのか。新卒時に就職した会社は7次面接くらいまであって最後だけ交通費が出た。3社内定でたが、1社はメディアを賑わす大事件にその後巻き込まれていった。そして僕は東京に出陣した。

出陣して10年が過ぎた。故郷に帰るのは年に一回くらいだ。我が子がいとこと関わって、我が子もいとこも成長し合う様子を見れるのは大変幸せだ。
私の故郷は、工業地域の沿岸部の港町である。百人一首のうち二首を占めるくらい歴史があり伝統的な昭和の町並みが残っている。東京にあればレトロさで観光人気ナンバーワンになるだろう。昔は海と砂浜が美しかったそうだ。しかし高度経済成長で工業地域となり公害に住民は苦しめられた。小児ぜんそくが大変多く、おいっこめいっこもぜんそくだし、よその地域から移り住んできた兄嫁も大人なのにぜんそくになり、我が子も正月の帰省時にぜんそくみたいに咳がとまらなくなり、苦しい思いをさせてしまった。品川駅に着くと空気がおいしく感じたことが異常だと今ならわかる。私の故郷は空気が汚い。子どものぜんそくも関東に戻るとすぐに治った。
この年末年始は、故郷にある国立大学の附属小学校の採用試験のために願書を書いたのに落ちてしまった。インフルエンザで仕事の小学校の私のクラスは学級閉鎖のため今日は昼に帰宅した。我が子と遊んだ後にひどく落ちこんだ。妻にジムに行けと急かされジムで一通りトレーニングした後、スパーリングをした。殴られて笑顔になる大人が滑稽だ。しかし、驚くほど浄化された。前回、試験に落ちた後は草津温泉に1人で浸かりまくって精神を正常にもどしたが、今回は毎週でも行える殴り合いだ。
家庭を持ち、子供がいれば、大黒柱の男は将来が不安なのが当然だ。今の場所から戦略をたてて前に進むしかない。