大食らい女児――MAYURI――
1
酒井舞由李(さかいまゆり)。八歳。まだランドセルが似合う、ぴちぴちの小学二年生。
「お母さーん、おやつは?」
いつものように、酒井は母に聞いた。
「ないわよ。あんたが全部食べたから」
いつものように、母、嘉子(よしこ)は冷たくそう返す。
「じゃあ買ってきてよ」
「そんなにおやつばっかり食べてると余計太るわよ。あんたただでさえ太ってんだから。3歳の健康診断で、お医者さんに太りすぎだって注意されたんだからね」
「クソババー!もういいよ!」
酒井は家を飛び出して行った。
「嘉子」
と、親子の様子を傍で見ていた酒井の祖母が言った。
「舞由李には厳しいしつけが必要じゃ。もう家に入れるな」
その頃酒井は広場の前を歩いていた。
その広場には大きなドカンがあるのだが、どういうわけか今日はそのドカンの上に、開封されていない新品のポテトチップスが置いてあった。
「あ!ポテトチップスだ!もらっちゃおうっと」
傍に誰もいないのをいいことに、酒井はポテトチップスに掴みかかっていった。
が、つかんだその時だった。
酒井は突如、つりざおに引っ掛かった魚のように、ものすごい力で引っ張られたのである。
酒井は転倒し、ドカンに激突してしまった。
「や〜い、引っかかった、引っかかった!」
ドカンの後ろから笑い声が聞こえ、酒井はハッとした。
見ると、クラスの男子3人が、酒井を指差して大爆笑していた。
「なにすんだよ!てめーら!」
酒井は男子3人に飛びかかって行った。
うち二人は逃げ回り、残る一人は石をいくつか投げて酒井に当てようと頑張っていた。
三回目に投げた石が酒井の頭に当たり、「やったやった」と男子達は大喜びの様子だった。
酒井は激怒し、男子一人一人のズボンを脱がせていった。
「なにすんだよー!」
怒った男子の一人が突然鋏を取り出した。
そして彼は酒井の髪をむんずと掴み、根元からジョキジョキと切ってしまった。
「あー!何すんのさ!」
男子達は笑いながら広場から逃げて行った。
追いかけようとしたその時、ちょうど広場の前を母が通りかかった。
母は娘の姿を見つめ、眉間にしわを寄せた。
「舞由李、あんた何してんの?っていうか、その髪はどうしたの?」
「悪ガキに切られたんだよ」
「ふーん」
「“ふーん”じゃないよ!私の髪、今どうなってんの?変じゃない?」
ヘアスタイルを気にしている酒井の様子を見て、母は大変驚いた。
今まで見たこともない光景だったのだ。
「あんた、ようやく女の子になったわね」
そう言って、母は去って行った。
酒井は母がいなくなったことも気付かず、まだ髪を気にしている様子だった。
この時生まれて初めて鏡を見たいと思ったのであった。
2
「さて、そろそろ帰ろうっと」
夕方になり、酒井は家に帰ろうとした。
「あ、ポテトチップスも持って帰らないと」
と、ポテチも手に持った。
酒井は屈託のない表情で、てくてくと陽気に歩き出した。
ところが家に帰って玄関のドアを開けようとすると、なぜか鍵が掛かっていた。
「ちょっと、お母さん!開けてよ!」
家の中から反応はない。
酒井はどんどんドアを叩きながら大声で叫んだ。
「お母さーん!おばあちゃーん!いるんでしょ!開けてよー!!」
すると、冷たい母の声が返ってきた。
「悪い子は家に入れてあげません」
酒井は即座に言い返した。
「私、悪い子じゃない!良い子だもん!」
「どこがじゃ!」と、すかさず祖母が突っ込んできた。
「いいから開けてよー!!」
酒井はさらに大声で叫んだ。
「近所迷惑でしょ!静かになさい!」
母に怒鳴られ、酒井は大人しく口を閉ざした。
すると数秒後、郵便受けの穴から、何かがゆっくり出てきた。
どうやら母が中から何かを送ってきたらしい。
郵便受けから出てきたソレは、ガシャンと派手な音をたてて地面に落ちた。
食べ物かと期待しながら、酒井は落ちたソレを拾った。
しかし、それは食べ物ではなく、ただの鏡であった。
「あ…鏡だ!」
酒井はさっそく自分の顔を鏡に映してみた。
「うわっ!ひどい髪!」
酒井は予想以上の酷いヘアスタイルにショックを受けた。
「くそー!あの悪ガキ共め!今度会ったらパンツ脱がしてトイレに流してやる!」
と、酒井は一人、固く決心した。
締め出されてから30分ほどが経過した。
酒井は叫ぶのをやめて、そっと母に呼び掛けた。
「ねぇ、お母さん。そろそろ中に入れてくれない?」
「反省したの?」
「したした」
「嘘ばっかり」
「本当だよ」
「じゃあ、もうおやつバクバク食べない?」
「うん」
「お母さんのことをオニババとかクソババアとか呼ばない?」
「うん、呼ばない」
「妹の面倒もちゃんとみる?」
「うん、みる」
「じゃあ、いいわよ」
母はようやくドアを開けた。
「あ〜疲れた!腹減ったー!」
家に入るなり、酒井はポテチの袋を開け、むしゃむしゃとむさぼりはじめた。
「お姉ちゃん、いけないんだ!」
幼稚園児の妹が言った。
「うっせーよ、このクソガキ!」
酒井は妹に平手打ちを食らわせた。
妹はギャンギャン泣き始めた。
「こら、舞由李!さっき約束したでしょ!あんたなんかもううちの子じゃありません!」
「ふん!私だってこんな家に生まれたくなかったよ!」
酒井はふてくされて自分の部屋に閉じこもってしまった。
3
酒井の母は、反省した様子のない娘にすっかり呆れかえっていた。
「舞由李」と、テレビの前でマンガを読んでいる酒井に、母はきつい口調で言った。
「漫画読むのは構わないけど、そのボッサボサの髪なんとかしなさいよ」
「うるさい、オニババア!」
「まあ!なんて口の利き方でしょう!ママはあんたにそんな教育した覚えはありません!」
「あんたの子供なんだからしょうがないでしょ!何が“ママ”だよ。あんたなんかママって柄じゃないし」
「ふん!家に入れてやるんじゃなかったわ」
母はそう吐き捨て、リビングを出て行った。
しかし実際、酒井は自分の髪が気になっていた。
「やっぱり美容院いこうかな…」
結局酒井は美容院に行き、生まれて初めてベリーショートになったのであった。
酒井の記念すべきショートカットデビューの日であった。
4
ある朝、酒井は8時15分に目が覚めた。
「やば!遅刻しちゃうよー!」
酒井は服だけ着替えて学校へ向かった。
一時間目の始業のチャイムが鳴るのと同時に酒井は席に着いた。
「はぁ〜!なんとか間に合った!」
酒井はほっと吐息をついた。
しかし一時間目が始まってまもなく、酒井の体に異変が起こった。
なんと、トイレに行きたくなってしまったのである。
というのも、朝急いで家を出てきたため、トイレに行く暇がなかったからである。
酒井は時計を見た。
9時5分だった。
一時間目が終わるまで、あと15分の辛抱である。
15分くらいなら我慢できると思い、酒井はそのまま授業を受けていた。
ところが授業が終わる5分前のことである。
酒井舞由李(さかいまゆり)。八歳。まだランドセルが似合う、ぴちぴちの小学二年生。
「お母さーん、おやつは?」
いつものように、酒井は母に聞いた。
「ないわよ。あんたが全部食べたから」
いつものように、母、嘉子(よしこ)は冷たくそう返す。
「じゃあ買ってきてよ」
「そんなにおやつばっかり食べてると余計太るわよ。あんたただでさえ太ってんだから。3歳の健康診断で、お医者さんに太りすぎだって注意されたんだからね」
「クソババー!もういいよ!」
酒井は家を飛び出して行った。
「嘉子」
と、親子の様子を傍で見ていた酒井の祖母が言った。
「舞由李には厳しいしつけが必要じゃ。もう家に入れるな」
その頃酒井は広場の前を歩いていた。
その広場には大きなドカンがあるのだが、どういうわけか今日はそのドカンの上に、開封されていない新品のポテトチップスが置いてあった。
「あ!ポテトチップスだ!もらっちゃおうっと」
傍に誰もいないのをいいことに、酒井はポテトチップスに掴みかかっていった。
が、つかんだその時だった。
酒井は突如、つりざおに引っ掛かった魚のように、ものすごい力で引っ張られたのである。
酒井は転倒し、ドカンに激突してしまった。
「や〜い、引っかかった、引っかかった!」
ドカンの後ろから笑い声が聞こえ、酒井はハッとした。
見ると、クラスの男子3人が、酒井を指差して大爆笑していた。
「なにすんだよ!てめーら!」
酒井は男子3人に飛びかかって行った。
うち二人は逃げ回り、残る一人は石をいくつか投げて酒井に当てようと頑張っていた。
三回目に投げた石が酒井の頭に当たり、「やったやった」と男子達は大喜びの様子だった。
酒井は激怒し、男子一人一人のズボンを脱がせていった。
「なにすんだよー!」
怒った男子の一人が突然鋏を取り出した。
そして彼は酒井の髪をむんずと掴み、根元からジョキジョキと切ってしまった。
「あー!何すんのさ!」
男子達は笑いながら広場から逃げて行った。
追いかけようとしたその時、ちょうど広場の前を母が通りかかった。
母は娘の姿を見つめ、眉間にしわを寄せた。
「舞由李、あんた何してんの?っていうか、その髪はどうしたの?」
「悪ガキに切られたんだよ」
「ふーん」
「“ふーん”じゃないよ!私の髪、今どうなってんの?変じゃない?」
ヘアスタイルを気にしている酒井の様子を見て、母は大変驚いた。
今まで見たこともない光景だったのだ。
「あんた、ようやく女の子になったわね」
そう言って、母は去って行った。
酒井は母がいなくなったことも気付かず、まだ髪を気にしている様子だった。
この時生まれて初めて鏡を見たいと思ったのであった。
2
「さて、そろそろ帰ろうっと」
夕方になり、酒井は家に帰ろうとした。
「あ、ポテトチップスも持って帰らないと」
と、ポテチも手に持った。
酒井は屈託のない表情で、てくてくと陽気に歩き出した。
ところが家に帰って玄関のドアを開けようとすると、なぜか鍵が掛かっていた。
「ちょっと、お母さん!開けてよ!」
家の中から反応はない。
酒井はどんどんドアを叩きながら大声で叫んだ。
「お母さーん!おばあちゃーん!いるんでしょ!開けてよー!!」
すると、冷たい母の声が返ってきた。
「悪い子は家に入れてあげません」
酒井は即座に言い返した。
「私、悪い子じゃない!良い子だもん!」
「どこがじゃ!」と、すかさず祖母が突っ込んできた。
「いいから開けてよー!!」
酒井はさらに大声で叫んだ。
「近所迷惑でしょ!静かになさい!」
母に怒鳴られ、酒井は大人しく口を閉ざした。
すると数秒後、郵便受けの穴から、何かがゆっくり出てきた。
どうやら母が中から何かを送ってきたらしい。
郵便受けから出てきたソレは、ガシャンと派手な音をたてて地面に落ちた。
食べ物かと期待しながら、酒井は落ちたソレを拾った。
しかし、それは食べ物ではなく、ただの鏡であった。
「あ…鏡だ!」
酒井はさっそく自分の顔を鏡に映してみた。
「うわっ!ひどい髪!」
酒井は予想以上の酷いヘアスタイルにショックを受けた。
「くそー!あの悪ガキ共め!今度会ったらパンツ脱がしてトイレに流してやる!」
と、酒井は一人、固く決心した。
締め出されてから30分ほどが経過した。
酒井は叫ぶのをやめて、そっと母に呼び掛けた。
「ねぇ、お母さん。そろそろ中に入れてくれない?」
「反省したの?」
「したした」
「嘘ばっかり」
「本当だよ」
「じゃあ、もうおやつバクバク食べない?」
「うん」
「お母さんのことをオニババとかクソババアとか呼ばない?」
「うん、呼ばない」
「妹の面倒もちゃんとみる?」
「うん、みる」
「じゃあ、いいわよ」
母はようやくドアを開けた。
「あ〜疲れた!腹減ったー!」
家に入るなり、酒井はポテチの袋を開け、むしゃむしゃとむさぼりはじめた。
「お姉ちゃん、いけないんだ!」
幼稚園児の妹が言った。
「うっせーよ、このクソガキ!」
酒井は妹に平手打ちを食らわせた。
妹はギャンギャン泣き始めた。
「こら、舞由李!さっき約束したでしょ!あんたなんかもううちの子じゃありません!」
「ふん!私だってこんな家に生まれたくなかったよ!」
酒井はふてくされて自分の部屋に閉じこもってしまった。
3
酒井の母は、反省した様子のない娘にすっかり呆れかえっていた。
「舞由李」と、テレビの前でマンガを読んでいる酒井に、母はきつい口調で言った。
「漫画読むのは構わないけど、そのボッサボサの髪なんとかしなさいよ」
「うるさい、オニババア!」
「まあ!なんて口の利き方でしょう!ママはあんたにそんな教育した覚えはありません!」
「あんたの子供なんだからしょうがないでしょ!何が“ママ”だよ。あんたなんかママって柄じゃないし」
「ふん!家に入れてやるんじゃなかったわ」
母はそう吐き捨て、リビングを出て行った。
しかし実際、酒井は自分の髪が気になっていた。
「やっぱり美容院いこうかな…」
結局酒井は美容院に行き、生まれて初めてベリーショートになったのであった。
酒井の記念すべきショートカットデビューの日であった。
4
ある朝、酒井は8時15分に目が覚めた。
「やば!遅刻しちゃうよー!」
酒井は服だけ着替えて学校へ向かった。
一時間目の始業のチャイムが鳴るのと同時に酒井は席に着いた。
「はぁ〜!なんとか間に合った!」
酒井はほっと吐息をついた。
しかし一時間目が始まってまもなく、酒井の体に異変が起こった。
なんと、トイレに行きたくなってしまったのである。
というのも、朝急いで家を出てきたため、トイレに行く暇がなかったからである。
酒井は時計を見た。
9時5分だった。
一時間目が終わるまで、あと15分の辛抱である。
15分くらいなら我慢できると思い、酒井はそのまま授業を受けていた。
ところが授業が終わる5分前のことである。
作品名:大食らい女児――MAYURI―― 作家名:王里空子