泡沫
用件というのは、わたしと友達になってほしいのです。きっと君は笑っているのかな?今だに友達のつくりかたを知らないなんておかしいって。でも、そういうことではないのです。今ははっきりと言えません。言うと……やっぱり友達にならないでおこう、となってしまうと思うから。それでも君は心優しい人だと、昨日の1日でわかりました。たった1日でわかるものかと君は思うのかな?でもわたしはそんな君を信じてみたいと思ったのです。どうかわたしのわがままを聞いてくれませんか?
清水青花」
流れるような字だ。達筆だ。俺のヘンテコな字とは比べ物にならない。それにしても、彼女の抱えている闇はどれほど深いのだろうか。その理由を探ってみたい好奇心と、探ってはならない道義心とがぶつかり合う。でもどんなことがあれ、俺は彼女と友達になりたいし、あのとき交わした会話の一つひとつをはっきりと思い出せるほど、彼女に興味がある。もうとっくに友達だ。1日あれば友達関係なんて十分つくれるじゃないか。
一人で熱くなっていると、ふと何かを消した痕跡が目に入った。彼女の名前の下に、これは……、メールアドレス……?多分そうだろうけど、はっきりとは読めないくらいに消してある。メールアドレスだとしたら、どうして彼女はそれを消したのだろう。何かと便利なはずだ。いろいろと相談事だってできる。でも、そんなこと言うのならどうして俺は昨日彼女にメールアドレスを聞かなかったのだろう?黒い謎に吸い込まれそうになる。
とにかくいろいろと聞かなくちゃいけないことがある。気になって仕方がない。昨日も結局そのことが頭から離れずにいた。よく眠れなかった。俺はあんまり要領がよくないからあれもこれも効率的にこなせない。気になることが一つ出てくると、それについてとことん考えたくなる性格で、言ってみれば長所でもあり短所でもある。
「なんだか俺、この2、3日でとんでもないことに巻き込まれてないか?」
ぼそっと呟きながら教室に入る。
「おー、きたきたー!おっはよーう!」
の、どでかい例の挨拶は軽く受け流す。でも耳が悲鳴をあげている。耳鳴りがすごい。渾身の挨拶をスルーされても渉は全然気にしない。そういう奴なのだ。
「なあ啓、最近なんかぼーっとしてないか?いやまあ昔っからそんな感じではあったけれども。」
「昔のまんま、どうせ俺はぼーっとしてるよ。渉も最近なんか声でかくね?」
「いやそれこそ昔からだから!」
よかった、自分でも自覚しているようだ。ならもう少し意識して声を小さくしてほしいけど。そんなことよりも俺は早く自分の席に着きたかった。いや、自分の席の隣にいる彼女と話がしたかった。
とにかく席に向かって歩く。渉はもう他のクラスメートとの話に夢中になっている。よし、やっと着いた……の一歩手前で、貴公子藤宮の御来訪。
「啓、おはよう!いやー、昨日ハーブティーをノートにこぼすという失態をして、おかげさまでノートがいいにおいになっちゃったよ。」
あほか!と思いつつもそのノートのにおいを嗅いでみると、たしかにいい香りがする。もちろんノート自体は乾いてかぴかぴだけど。
「なにかこぼすのはしょうがないけど、全国のどこにハーブティーこぼす奴がいるんだよ!」
「いたんだよ。ここに。」
「やかましい。」
ピシャリと一言放って、視線を彼女に移す。すると彼女と目が合った。その一瞬が、その瞬間が、永遠だった。
会話を聞いていたらしく、彼女はクククッと必死で笑いをこらえ始めた。なんだか俺まで笑みがこぼれる。
「あれー?もしかして清水さんも俺のこと笑ってる?」
彼女の笑い声を聞きつけて、藤宮はきょとんとする。
「藤宮くんも天然だね。そのノートどうするの?」
「ハーブティーの香りつきノートだからなぁ。これは永久保存だな。」
「永久保存なんてしたら、良い香りも台無しになっちゃうよ。」
「あれだよ、香り的エネルギー保存の法則だよ。」
「なにそれ。理系っぽいこと言っちゃってー。」
いや、まず香り的ってなんだよ!と突っ込みたかったが、なぜかしてはならないように感じた。相手は鈍感な藤宮だから別に気兼ねする必要はないのだけれど……。
「ところで藤宮は清水さんとは知り合いなの?」
こんなこと聞く予定じゃなかったのに、とっさに口をついてでた。自分で半ばびっくりしていると、
「ん?いや、今初めてちゃんと話した。ね?」
彼女に同意を求める。
「うん。」
その短い返事に俺は安心した。
「でも清水さんって1年のころ……」
藤宮が言いかけたときだった。
「……だめ!……」
空間が一気に多重化するように、その透明な声が遥か遠くまで響いた。その声に飲み込まれたのか、俺は心持ち、くらっとした。でも同時にはっきりと、彼女の真剣な声を聴いた。
「あ、わりい。」
なんのことだかよくわかっていない様子の藤宮は、とりあえず謝ろう精神で乗り切る。
微妙な空気が辺りを包む。とても長い時間そうだったような気もする。でも短かったような気もする。それすらも分からないような状況を、ホームルーム開始のチャイムがかき消した。
〈つづく〉