滋賀県野洲でのこと
いつになっても現れなかった。
しかし、それを探している途中、向かいの歩道の更に奥に、湖を見つけた。
美しかった。紅葉は、更にそれを引き立てていた。
湖に行ってみた。しかしそれは元の目的地ではなかった。
そこに辿りつく直前、超広い原があって、開放感、解放感があった。
それは、目的地にはなかっただろう。
ひとしきり湖で楽しく過ごした後、すなわち今。
堰堤から吐き出されるH2Oは、H2Oではない。
たった一つの、巨大な音源だ。
あたりの静かな景色とはまるで違う、荒々しさ。
これが未来の俺にどんな影響を与えるか知らない。
ただ、フツーに家でゴロゴロしてたら一生経験できなかっただろう、そう思えば、この、意味を見出せない現象・事象に、とてもとても大きな「意味」を感じてしまう。
それはわからないものである。
いつわかるのか、それもわからない。